2010年、イラン、イスファハーン、その3。

この日は、前日とは打って変わって凄まじい快晴であった。朝も早いうちからいそいそと起き出して、イスファハーンもう一つのハイライトである、マスジェデ・ジャーメへ向かう。昨日見たマスジェデ・エマームを味わってしまうと多少感動は薄らいでしまうものの、それでもこの大きさには圧倒されるし、こちらのマスジェドの方が古めかしくて威厳がある気がした。なんとなく。

さて、マスジェデ・ジャーメから一旦宿に戻ってぷらぷらと近所を散歩する。この日は金曜日でイスラムでは休日。驚くほど律義にどこの店もお休みである。そして、地元のご家族がゴザを広げて至る所でピクニックをしている。イスファハーンには緑のある公園が多いが、その木陰という木陰がゴザで一杯だ。歩いているだけで四方八方のゴザから声がかかる。

そして、散歩の結末として、この日もエマーム広場に至った。

広場の周囲に広がるスークの中にある店はほとんど休みだが(それはもう、観光地であるとかないとかは関係なく!)、その代わり休日だけあってイラン人の旅行者が多い。こちらは、(たぶん)修学旅行中の女子高生。逆ナンされた揚句にジュースを奢ってもらった。日本では死んでもあり得ませんよ、こんなこと。

その後、エマーム広場の片隅でゴザを広げていた、戦禍を逃れてきたらしいアフガニスタン出身のご家族のピクニックに混ぜてもらい、お茶や豆をいただきながら、いろんな話をする。どこから来たのか、なぜイランに来たのか、イランは好きか、どの街に行くのか、アフガニスタンの方が素晴らしいぞ、アフガニスタンをどう思うか、日本ではどんな仕事をしているのか、いつか日本に行きたいです。日常の話、趣味の話、経済の話、政治の話などなど。

アフガニスタン系の方々は、我々と同じく、顔が薄いモンゴロイドなのですぐにわかる。顔の濃いいいぃぃぃペルシャ系の方々に比べ、親近感が沸くことこの上ない。

そして、日が傾くにつれ、マスジェデ・エマームの色も少しずつ変わってくる。青い壁に深い陰影が刻まれ、濃紺の空と真っ白の雲と相まって、異次元のコントラストで目の前に迫る。

アフガニスタン出身のご家族に別れを告げると、辺りはもう真っ暗で、マスジェデ・エマームのみがライトアップされて夜空に浮かび上がっている。この旅で初めて鳴り響くアザーン(※)をまともに聞きながら、夜の礼拝のためにマスジェデ・エマームへと入っていく人達を眺めつつ、この夜も更けていく。そして、翌日は早起きして、バスでシーラーズへと向かう。

※ 意外だったが、イラン国内ではアザーンを大音量で聞く機会にはほとんど恵まれなかった。宗教に関して寛容であったシリアの方がよっぽど喧しく、四六時中街中で鳴り響いていた。そのシリアで知り合った日本人旅行者(中国から陸路で遥々シリアまで)によれば、イランではうるさいという理由で(いや、宗派の違いが一番だけど。)アザーンの回数を減らしており、逆に、イスラム教色が薄いお隣のトルコでは1日5回きっちりと鳴っているそうだ。人間、押しつけられると嫌がるが、押しつけられなければ求めてしまうもの。どこの社会に行ってもこの法則は変わらない。不思議な気もするし、よくよく考えて自分の見に照らしてみれば、まあ、当たり前のことであった。

2010年、イラン、イスファハーン、その2。

イスファハーンと言えばエマーム広場である。モスクと王宮とスークに囲まれた広場で、世界遺産でもあり、且つ、ここに住む人々の憩いの場となっている。

エマーム広場の南側にあるのは巨大なマスジェデ・エマーム。恐ろしい程に巨大な門を通り抜け、45℃に折れ曲がった通路を抜けると、4方を巨大なイーワーンに囲まれた空間に至る。あまりにも壮大過ぎて、言葉では表現できないし、カメラには収まりきらないのだが、要は、下の写真のようなサイズの建物に取り囲まれるのだ。バランス感覚が狂わされ、目眩がするのだ。くらくらと。

そして、こちらは広場の東側にあるマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー。マスジェデ・エマームより小振りではあるが、装飾の緻密さでそれを超える。窓から差し込む光に照らされてぼんやりと浮かび上がる装飾を眺めていると、ここでも目眩がする。くらくら。

さらに、広場の西側には、昔の王宮があって、テラスからは広場全体を見渡すことができる。最上階にある音楽ホールでは、壁や天井は楽器の形にくり抜かれた無数の空洞で飾られる。いちいち芸の細かいペルシャ文化。ああ、くらくら。

昼飯をとってしばらくすると突然大雨が降り始め、気温がかなり下がった。広場の周りはスークになっているので雨宿りする場所には困らない。雨が止んだのを見計らってタクシーを拾い、もう一つの見所であるザーヤンデ川に向かう。

大雨が嘘だったみたいに、晴れた。ザーヤンデ川も憩いの場として機能しており、仕事をしているのかなんなのかよくわからない人々が楽しそうに散歩していたり、世間話をしていたり、川を眺めたり。スィオセ橋の下にある貴重な(!)チャイハネで、味の無い緑色の液体に浸かったブヨブヨの麺を食し、次々と話しかけてくる人々とワイワイと世間話をしたり写真を撮り合ったりしていると、夕日の時間になる。

旅をしていて心が一番湧き立つのはこの時間だ。世界中どの街であっても、街が最も美しく見えるのはこの時間だと思う。そして、ここでは、日が沈めば、橋がオレンジ色にライトアップされ幻想的な雰囲気が漂う。砂漠の土地だから、つい数百年前は夜が生活の中心であったはず。きっと、中東の人々は夜の楽しさを知っているし、だからこそ、中東の夜は本当に魅力的である。

2010年、イラン、イスファハーン、その1。

激務の日々をなんとか通り過ぎ、無理矢理仕事を片付けてエミレーツで日本を脱出。イランでは酒は一切飲めないので、飛行機の中でワインの飲み貯めをしていたら、酔いが回ってフラフラのまま眠りに落ち、いつの間にかドバイに着いた。すぐにテヘラン行きの便に乗り換える。ペルシャ湾を縦断した後は、ひたすら赤茶けた大地を北へ進み、3時間でテヘランに至る。

テヘランにはあまり興味はないので、空港からタクシーでイスファハーン行きのバスターミナルへ。次のバスがでるまで2時間程あったけれども特にすることもない。

イランは外で食事するところが極端に少ない。外食文化がなく、レストランにいるのは外国人ばかりだった。バスターミナルでもそれは例外ではなく、これだけ人が集まっているのにレストランが無い。唯一購入できる食事らしきものは、ターミナルを周遊しているサンドイッチ屋だが、固いパンに、薄い肉らしき物を挟んだ物体で、あまりありがたいものではなかった。売店で買った豆を齧ったりしながらバスを待つ。

そして、この国の人々は、外国人とみるやすぐに話しかけてくる。どこから来たのか、なぜイランに来たのか、イランは好きか、どの街に行くのか、イスファハーンは素晴らしいぞ、イランをどう思うか、日本ではどんな仕事をしているのか、いつか日本に行きたいです。日常の話、趣味の話、経済の話、政治の話などなど。入れ替わり立ち替わり話しかけてくるが、人それぞれの考えがあるから全く飽きない。豆を齧りながらバスを待っていると、1つ前のバスを待っていたシラーズに向かう若者に話しかけられた。ペルシャ語の会話帳を開いて、わいわいやっているうちに、あっと言う間にバスの時間になった。

テヘランからイスファハーンまではバスで5時間。バスは、日本のものとまではいかないが、そこそこ快適だし(インドと比べたら、それは、まあ圧倒的に!)、道も綺麗に舗装されている。赤茶けた大地を、ひたすら南へ。途中ドライブインで軽く休憩をとるが、例の如く、かちかちの侘しいサンドイッチしかない。

イスファハーンに着いたのは、夜の9時頃。バックパッカーに有名なアミールキャビールホテルに落ち着き、奇跡的に近所にあったレストランで、この日初めて、ようやく、まともな飯をいただく。この後、飽きるほど食べることになるケバブ+ライスだが、味付けは控え目で、いたって素朴で、美味しくいただいた。そのまま疲れた体を引きずり、宿に戻って就寝。

« Newer Posts