たまには真面目に、宣伝。

12/22、(財)全日本地域研究交流協会さんのご厚意で、農水省の委託事業である「農林水産・食品産業分野コーディネーター人材育成研修プログラム」にて1時間程しゃべることになりました。場所は東京の本の街、神保町です。

http://www.jarec.or.jp/project03-02.html

別に旅の話をする訳ではありません。農林水産(主に、水産)のことを真面目に考えてみようと思いますが、残念ながらこんな性格のため、とっちらかった内容になりそう。ああ、資料作成が終わらない。〆切はとっくに過ぎている!

2010年11月、愛媛県愛南町。

たまには仕事の話でもしておきましょう。Blogのタイトルに忠実に従えば全くしない訳ではないのだし。

いちおう普段は大阪在住だが、愛媛大学のスタッフでもあるので、毎月最低でも1回は必ず愛媛県で仕事をしている。愛媛県といっても、そこは愛媛県の最南端の愛南町。松山から車で3時間、最寄りの駅となるJR宇和島駅からバスで2時間の素敵な旅。ここは、日本で最も養殖の盛んな地域の一つであり、そして愛媛大学南予水産研究センターがある。

愛南町では、毎年11月3日に各集落でお祭りが行われる。2日は前夜祭ということで、行きつけの居酒屋で、仕事の関係者と一緒に新鮮な魚と地酒を頬張りながら日本の水産業の明るい未来を語り合っていると、突然獅子舞が乱入してきて子供と一緒に舞い踊る。

そして、3日のメインイベントは神輿。過疎に悩まされるこの地域にとっては、愛媛大学の学生及びスタッフは貴重な担ぎ手だ。特別、「担ぎますよー!」と高らかに宣言した訳でもないのだが、当然のようにハッピが用意されていたので、休日でもあることだし、朝から酒を飲みつつ神輿を担ぎ、巨大な牛鬼2頭に続いて練り歩く。

宇和島から南の地域では伝統舞踊となっている鹿の踊り。ここでは、子供5人が鹿に扮して踊るので、「五つ鹿」と言う、らしい。本家は「八つ鹿」で、分家になる毎に1鹿ずつ減っていく、らしい。ああ、早くから酔っぱらって聞いた話なので、本当かどうかは責任を持ちませんが。

昼から神輿を担いで集落の隅々(まあ、たいした距離は無いのだけれど)をねじ回り、フィナーレは、夕方。地区の集会所の前に集まって、神輿同士をぶつけて引き回す。とにかく引き回す。この時間になれば、酔いも相当回っており、みなさん千鳥足だが引き回す。多少の怪我人が出ようとも構わず引き回す。予想通り怪我人が出て、救急車が来たため一時騒然としたものの、なんとか皆様、五体満足で祭りを終えた。その後は、ひたすら飲む飲む飲む。翌日は早朝から仕事で、何とか起きたけれども、二日酔いが辛い。そして、翌々日に私の肩と腰の痛みはピークを迎えることになる。

2010年、イラン、テヘラン。

カシャーンからテヘランまではバスで3時間程度だ。いそいそとバスに乗り込んでくつろいでいると、イランの女の子が流暢な英語で話しかけてきた。我々の一つ後ろに座っていたのはテヘラン郊外に住んでいる22歳と18歳の姉妹。話した内容は、これまでの旅で何度もあったように、イランの話、日本の話、等々。イランではどこに行ったの?、イランは好き?、日本ではどんな仕事をしているの?・・・云々。そして、ひとしきり話が弾んだ後、姉がちょっと照れ臭そうに、「うちに泊りに来ない?」と言った。特にテヘランでは見たいものがなかった我々、イラン人姉妹の家にお世話になることにする。

テヘランの南のバスターミナルから、地下鉄2本と電車を乗り継いだところにある彼女達の家。テヘランの中心部から1時間だから、関西で言えば草津くらいの感じだろうか。閑静な住宅街にあるアパートを借りて2人で住んでいた。まずは、お腹が空いただろうということで巨大なサンドイッチを買ってきてくれる。まずはシャワーを浴びろと勧められる。そして、今日は私たちのベッドで寝ろ、私たちは床で寝るから、と言われ、こちらが何と言っても頑として聞かない。22 歳と18歳の女の子が、汚い恰好をした見ず知らずの外国人2人組(うち、一人は加齢臭が香り始めた30近いおっさん)に自分のベッドを貸すというミラクル。

近所を散歩して小さなモスク等を案内してもらいながら、豆や水を買い与えてもらい、最終的には手料理までご馳走になり、この日は就寝。10コも歳の離れた女の子にそんなことをさせていいのかと悩みながら、この旅最後の夜は更けていく。

次の日は、彼女達の案内で、中東最大級と言われるテヘランのスークへ向かう。そのまま帰国するため重い荷物を背負い、彼女達の親戚がやっているという店に荷物を置かせていただき(まあ、何から何まで・・・)、スークで土産物を漁る。友人の新しい店の開店祝いにと、イランの昔の王様の絵の書いたお茶セット等を購入したり、イラン名物の香水を値切ってもらったり、近所の博物館に連れて行ってもらったり、と盛りだくさん且つ精一杯のホスピタリティー。旅先のみならず、日本でもここまで尽くされた経験はほとんどない。宗教上、異性同士が近づくことはできないので、私だけ一人距離を置く感じにはなったが、嫁と彼女達は固い絆で結ばれていた。

最後に立ち寄ったのは、テヘランの中心部から空港へ向かう間にある、エマーム・ホメイニ聖廟。イラン革命の指導者のホメイニ師を祀った巨大なモスクで、まだ建設中にも関わらず多くの人が参拝に訪れていた。黄昏時の空に突き刺さるミナレットと、参拝に訪れた人々との触れ合いは、間違いなくこの旅のハイライトの一つだ。夢が醒めようとする瞬間の最後の美しさ。

そして、エミレーツを乗り継ぎ日本に帰り、休暇中にたまっていた仕事を2日徹夜で片付けた後、見事に盲腸炎でぶっ倒れたのです。

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