カシャーンからテヘランまではバスで3時間程度だ。いそいそとバスに乗り込んでくつろいでいると、イランの女の子が流暢な英語で話しかけてきた。我々の一つ後ろに座っていたのはテヘラン郊外に住んでいる22歳と18歳の姉妹。話した内容は、これまでの旅で何度もあったように、イランの話、日本の話、等々。イランではどこに行ったの?、イランは好き?、日本ではどんな仕事をしているの?・・・云々。そして、ひとしきり話が弾んだ後、姉がちょっと照れ臭そうに、「うちに泊りに来ない?」と言った。特にテヘランでは見たいものがなかった我々、イラン人姉妹の家にお世話になることにする。
テヘランの南のバスターミナルから、地下鉄2本と電車を乗り継いだところにある彼女達の家。テヘランの中心部から1時間だから、関西で言えば草津くらいの感じだろうか。閑静な住宅街にあるアパートを借りて2人で住んでいた。まずは、お腹が空いただろうということで巨大なサンドイッチを買ってきてくれる。まずはシャワーを浴びろと勧められる。そして、今日は私たちのベッドで寝ろ、私たちは床で寝るから、と言われ、こちらが何と言っても頑として聞かない。22 歳と18歳の女の子が、汚い恰好をした見ず知らずの外国人2人組(うち、一人は加齢臭が香り始めた30近いおっさん)に自分のベッドを貸すというミラクル。
近所を散歩して小さなモスク等を案内してもらいながら、豆や水を買い与えてもらい、最終的には手料理までご馳走になり、この日は就寝。10コも歳の離れた女の子にそんなことをさせていいのかと悩みながら、この旅最後の夜は更けていく。
次の日は、彼女達の案内で、中東最大級と言われるテヘランのスークへ向かう。そのまま帰国するため重い荷物を背負い、彼女達の親戚がやっているという店に荷物を置かせていただき(まあ、何から何まで・・・)、スークで土産物を漁る。友人の新しい店の開店祝いにと、イランの昔の王様の絵の書いたお茶セット等を購入したり、イラン名物の香水を値切ってもらったり、近所の博物館に連れて行ってもらったり、と盛りだくさん且つ精一杯のホスピタリティー。旅先のみならず、日本でもここまで尽くされた経験はほとんどない。宗教上、異性同士が近づくことはできないので、私だけ一人距離を置く感じにはなったが、嫁と彼女達は固い絆で結ばれていた。
最後に立ち寄ったのは、テヘランの中心部から空港へ向かう間にある、エマーム・ホメイニ聖廟。イラン革命の指導者のホメイニ師を祀った巨大なモスクで、まだ建設中にも関わらず多くの人が参拝に訪れていた。黄昏時の空に突き刺さるミナレットと、参拝に訪れた人々との触れ合いは、間違いなくこの旅のハイライトの一つだ。夢が醒めようとする瞬間の最後の美しさ。
そして、エミレーツを乗り継ぎ日本に帰り、休暇中にたまっていた仕事を2日徹夜で片付けた後、見事に盲腸炎でぶっ倒れたのです。