2010年→2011年、ビルマ、ガバリ。

ガバリは、ビルマの西部、ベンガル湾に面し、ビルマ一の美しいビーチを持つと言われる、所謂リゾートである。そもそも、リゾートにはほとんど興味を持っていないのだが、あまりにも日本が寒かったのと、ここしばらくの旅と言えばしんどい思いしかしていなかったこと(いや、砂漠とか山奥とか、そんなとこばかりで・・・)に思い当たって、のんびりするのもありだよね!、と、なんとなく旅程に入れてしまった。

ガバリは、海は文句なく青く澄んでいて、砂浜は文句なく白く澄んでいて、太陽は文句なく優しく降り注いでいて、リゾートとしては最高の土地であることは間違いない。間違いないのだ。

だが、しかし。





まあ、結論から言えば、我らはリゾートが向きの人間でないことを再確認することができた。とりあえず、空港に送迎に来ていた(このあたりでは一番安いとロンプラに書いてある)宿のスタッフに声をかけ、部屋を確保する。安宿と言ってもバガンやインレーよりも遙かに壁が薄いし汚いのに値段は3倍するのだ、なぜならここはリゾートだから。宿は、海沿いに並ぶコテージタイプ。目の前はすぐ白い砂浜で、青い海の向こう側はインドの東岸である。そして、見渡す限りの白人と中国人。ビルマ人は宿の従業員ばかりで、“住んでいる人”を見かけることはない。


浜辺に沿って2~3 km広がるリゾートエリアの両側に、ようやく、地元の人が住む小さな漁村を見つけた。ビーチで1日ゴロゴロするのも居心地が悪いので、自転車や徒歩でふらふらとそちらに逃げる。一緒に歩いて村を案内してくれた地元の若者、コーヒーと噛みタバコをいただいた小さな寺院、暇そうな村人が集うカフェ、1杯飲んでお金を払おうとしたがお釣りが無くて申し訳なさそうにタバコを差し出す店員、捕れた魚を干すために海岸一面に敷き詰められたブルーシート、打ち捨てられた軍の施設。この僅かな距離で、目に見えない、だが確かに巨大な壁が存在する。

いや、正直、バリ島のアメッドみたいに「壁」を軽々と越えられるような、そんな静かな村を期待していたんですけどね。全然雰囲気違いました。海に沈む夕日を眺めながら、さっきの矛盾を感じつつ、時間がなんとなく流れていく。

2010年→2011年、ビルマ、インレー湖。

翌日、若干ではあるが体調は回復傾向。早朝の飛行機で、次の目的地であるインレー湖へと向かう。バスで行けば20時間だが、飛行機ならバガンからヘーホーまでは一瞬。ヘーホーからインレー湖までは車で約1時間の道のり。いつもならバスに乗りたいところだが、この体調だとさすがに死ぬわ。

インレー湖の畔の街ニャウンシャエ。バガンと比べれば小さい街ではあるが、「市場」と「屋台」という貧乏旅を楽しむための2大要素が充実している。たまたま選んだ安宿も居心地がよく、中庭のベンチで本を読みながらまったりと過ごしながら、体調の回復を待つ。夜になれば、もちろん屋台に繰り出し、絶品の串焼を近所の酒屋で買ってきたビールで流し込む。たまたま屋台で知り合った長旅中の日本人カップルと、一緒に船をチャーターして、翌日は早朝からインレー湖に繰り出す。登りたての日の光が乱反射する湖面の美しさといったら!



インレー湖の湖畔では、どこかの村で日替わりで市場が立つ。この日たまたま市場が開かれていた村から細長く曲がりくねった運河を通り抜け、湖畔の遺跡/寺院インティンへ。崩壊寸前の打ち捨てられた仏塔から、ごく最近建立されただろう金ピカに光り輝く仏塔まで、さまざまな仏塔が乱立している。この場所に限ったことではないが、この国での信仰は、決して「遺跡」として人工的に真空パックされたものではなく、現在進行形で回っていることを実感する。

湖上の寺院や、英語が堪能な首長族的な皆様の家や、土産物屋にも強制的に立ち寄られつつ(そして、何も買わない)、湖に沈む夕日を眺めていると、子供の漁師が近寄ってきた。いい写真が撮れたと喜んでいると、まあ、もちろんこちらに寄って来てチップを要求される訳だけれども、小銭があんまりなかったのよ。ポケットの奥底で発見した、ほんとに少額のコインだけ渡したら、悲しそうな顔をして去っていった。まあ、漁師は漁師らしく、魚を獲ってがんばって欲しい。すまん。

ニャウンシャエには全部で3泊したが、どうしても体調が優れなかったようで、インレー湖に遊びに行った日以外は、昼間は宿でごろごろ&ぶらぶら散歩→夜は屋台、の繰り返しであった。そうそう、この街で見つけた掘り出し物。謎のビルマ歌謡を奏でながら練り歩く、ビルマ版サウンドカー。

この街は以上に標高が高く、常夏のビルマにしては珍しく物凄く冷える。夜は、なんと氷点下近くまで冷え、昼間は30℃以上にもなる。あまりにも過酷な環境だった訳だが、仲良くなった日本人カップルと毎晩同じ屋台で飯を食って、いろんな話をして、かなり楽しかった。今はどこの国で何をしているのだろう。

そして、暖かい気候と青い海を求め、僕等はガバリへと飛ぶ。

2010年→2011年、ビルマ、バガン、その2。

バガンを1日自転車で走りまわったその翌日は、前日出会った日本在住のアメリカ人のお姉さんと一緒に車をシェアし、バガン近郊のサレー&ポッパ山に向かう。朝の8時に集合し、ボロボロのバンで出発。ここは、というかこの国は、とにかく道が悪い。辛うじて舗装はされている道路でも当然のように表面はボコボコであり、雨季には川の底になるという舗装されていない道でも突っ走る。そんな数時間。いやー、気分が悪くなったよ。めったに車酔いはしないはずなんだけれども。

まずはサレーの街。いや、街というか小ぢんまりとした寺院がしかないところで、点在する謎のオブジェは、お姉さんが「仏教ワンダーランド」と称していた。暑かったことと気持ち悪かったこととネコがたくさんいたことしか覚えていない。

2時間程サレーに滞在した後、ポッパ山に向かい、昼飯休憩を含んで数時間。ポッパ山は、ビルマ土着のアミニズム信仰の聖地である。山々の間に突き出した岩山は、精霊「ナッ神」を祀っているのだが、ナッ神の像は、昼からミナミで呑んだくれているおっさん(まあ、私のことであるが。)そのものにしか見えない。参拝客は引切りなしに訪れるが、白人天国となっていたバガンと比べて露骨な外国人観光客の数は明らかに減った。凶暴な猿から必死に荷物を守りながら険しい山道を登る。参拝道のところどころにナッ神と見られる像が乱立する。頂上に近くなり視界が開ければ、これは、まるで空中に浮いているような!



そして、私がこの日ずっと気持ち悪かったのは、原因は車酔いではなく、本気で体調が悪かったのであった。気持ちが悪いまま、歩いているのもやっとの状態で岩山を登って、さらに下り、バガンへと帰る車の中では後部座席に横になってぐったりと寝込んでいた。バガンに戻り、宿の近所の食堂で晩飯を待っている途中で思いっ切り吐いてしまう。それでも、何かは食わねばならぬという義務感から、あっさりした海老スープを無理矢理胃の中に押し込み、一人で宿に戻って寝た。ベッドの上で悪寒に苦しんでいる最中、嫁はアメリカ人のお姉さんと2人でビルマウイスキーをたらふく飲んでいたとのことである。