2011年、キューバ、ハバナ、その1。

 さて、これは2011年のゴールデンウィークに無理矢理に仕事の休みを取って出かけたキューバ旅行の話だ。昔からキューバに対しては漠然とした憧れをいだいていたが、遠くて時間がかかるのと(日本からだと、どのルートでも途中で1泊以上奪われる。何が悪いって、アメリカ経由便がないのが悪い。)、2重通貨制度により外国人にとってはやたら高額な旅になってしまうという噂により、旅行先としては無意識的に敬遠していたところもある。しかし、まあ、なんとなく航空券を調べてみれば、トロント経由のAir Canadaの便が意外と安かったので、衝動的に「購入ボタン」をポチっと押してしまった次第。往路復路の計2泊の無駄を合わせた14日間という、久しぶりに思い切りのいい旅行になった。普段は馬車馬のように働いているんやから、ちょっとくらいええやんかという言い訳。ヨーロッパ人のバカンスに比べれば極々短期間でしかないが、そこでビビってしまうのが島国根性、というより個人的な問題。
 4月下旬、無理矢理に仕事を片付けたつもりで、伊丹空港から成田空港、そしてトロントからハバナへ。トロントの滞在時間も合わせれば、30時間以上の長旅である。

 トロントは、厚い雲に覆われていて暗く、真冬かと思うほど寒く、着いてしばらくすると大粒の雨が降りだした。春のポカポカとした日本から、常夏のキューバに行くのに厚着など持ってきているはずはない。念の為にとバックパックの奥底に入れた毛布を取り出して体にぐるぐる巻いて移動する。空港周りは超高級ホテルしかなく、安いB&Bは、バスと地下鉄を乗り継いでダウンタウンまで出なければ、無い。ダウンタウンまで空港からは1時間半程かかる。バスと地下鉄は共通で$3乗り放題と糞安いのが唯一の救いであった。

 トロントのダウンタウンは、私の大好きなゴチャゴチャした猥雑な空気を微塵も感じさせない、北米らしい、いかにも計画的な街並み。写真のチャイナタウンも整然としていて大人しい。日本から予約をしていたB&Bは、このチャイナタウンから歩いて10分程のところにあって、セントラルヒーティングで暖かく非常に居心地がよかった。ただ、外に出ると無茶苦茶寒い。そして雨。キューバの経済事情を考えて、日用品を少し買い、レバノン系の軽食屋でバターライスという名の油ギトギトのおぞましい物体を食し、長旅の疲れで倒れるように眠る。
 翌日は、外もまだ暗い朝の6時に起きだして、昨日来たルートをいそいそと1時間半かけて空港へと戻る。トロントからハバナまでは意外と近くて3時間程。ちょうど東京から沖縄まで飛ぶような感覚に近いだろうか。一刻も早くハバナに行きたい、そんな熱い思いを掻き立ててくれたので、4月のトロントには少しだけ感謝しておこうか。
 機内でLonely Planetをわくわくしながら読んでいると、キャビンアテンダントのおっさんに、「キューバ最高だよね!俺も大好き!」と声をかけられる。そうだよな。間違いない。嗚呼、なんて素敵な響きだろう、「ハバナ」。そして、空港に降り立つ。その瞬間に襲ってくる熱気。キューバに降り立ったことを実感したここから、最高に熱い旅が始まった。

再び南へ(この秋の記録)。

 大阪からレンタカーで紀伊半島をぐるりと回った10月の連休のお話。ここんとこほとんど毎週末毎一緒に過ごす友人が和歌山県の南の端の出身で、彼がどうしても行きたいというので、ひょこひょこ付いて行った。9月の台風12号により相当被害を受けたので、その様子が気になったとのことである。本当はボランティアでもできればよかったのだが、今回は時間がなくて断念した。断念しているところが情けないが、現地でお金を落とすことも何より大切なはず、と自分に言い訳をする。

 友人と、友人の姉と、友人の姉の友人と、私、という謎の組み合わせ。レンタカーで華麗に出発。連休中だったが、白浜の直前で少し渋滞した他は順調に進む。昼過ぎに串本の民宿兼食堂で食したマグロ丼は最高だった。食後、お店に置いてあった地図をみながら、ようやく予定を検討することにする一同。とりあえず、和歌山の端の新宮まで突っ走ってから那智にも立ち寄りつつ、友人と友人の姉の出身の古座川の民宿に泊まるということで落ち着く。

 キラキラと光る海を眺めながら国道42号線をひた走る。車から見る景色は1ヶ月前の台風の被害なんて嘘のように穏やかだった。お気楽な話でわいわいと騒ぎながら(まあ、騒いでいたのは友人と私だけだったが)新宮まで至る。熊野速玉大社、大逆事件の慰霊碑に立ち寄り、すっかり普通の観光気分。ただ、熊野川の川岸の工事現場に橋桁に引っかかったままの大木と、観光協会の窓口の2名と我々の他は誰もいない新宮駅にひっそりとやってくるJR振替輸送のバスだけが、被害があったことを辛うじて思い出させてくれる程度で。

 日が傾いて険しい山の間に沈もうとする頃。新宮から那智勝浦まで至り、那智の滝の方面へハンドルを切れば、そこは驚く程に別世界だった。決して幅が広くない川だったらしきところが、大量の岩に埋もれている。川沿いの国道は所々が崩落し、普通に家があったと思しきところは瓦礫の山。これまでの長閑な観光気分はすっかり吹き飛び、しばらく呆然とした。もちろん、ニュースを見る限りの範囲内でわかっていたはずだったのだが、現地に来なければ何も理解できないのだということが、逆によくわかった。

 那智の滝は、さすがの観光地で、かなりの数の観光客を集めていたこともあり、少しの安堵を感じる。滝の位置が変わったというものの、初来訪だったのでよくわからなかったが、滝壺に落ちた大木が物語る。那智大社にて現地の人と話したところ、土砂が崩れて神社のかなりの部分を埋め尽くしたらしい。土砂に埋もれた那智大社は全く想像できない程に回復していたから、ここまで戻すことに、かなりの努力を要したことだろう。
 被害が大きかったところで少しでも多くのお金を使おうということで、那智川沿いの温泉でお風呂に浸かる。温泉の中にはボランティアで来ていらっしゃる方も多く、湯船で話を聞く。泥かきは本当に重労働だろうし尊敬する。温泉の窓口で購入した鯨油石鹸の個性的な香りのせいか、少し眩暈がする。

 古座川町の民宿に荷物を押し込みつつ、近所の唯一の居酒屋で晩御飯をいただく。刺身はもちろんのこと、煮付けや焼魚も絶品である。この辺りも床上まで浸かった家々も多かったとのこと。おいしいお酒をいただきながら、地元のおいしいお魚をいただくことも、被災地支援であるはず、たぶん。この静かな川沿いの街は、被災したことが嘘のように平穏な空気が流れていた。今の私に確実にできることは、この事実を忘れないことと、余裕があったら募金することと、また足を運んで馬鹿騒ぎすること(次は自転車で行きたひ)。民宿に戻り、買い込んだ酒を消費しながら、いつものようにぐだぐだと夜が更ける。

 そして、南紀のソウルフード、めはり寿司。土産屋にあるような作り置きではなくて、小さな喫茶店のおっちゃんが注文を受けてから作ってくれたもの。これは最強に旨し。噂によれば、和歌山県の新宮市には、めはり教の総本山「タージめはール」があり、めはり教の信者が日々祈りを捧げながらめはり寿司を食い続けているらしい。今度行ってみることにしよう。