スルタンアフメトからトラムで数駅いくと金角湾(ゴールデンホーン)に出る。有名なガラタ橋はエミノニュという駅が最寄りになるが、路面電車から眺めていた景色があまりに美しかったので、一つ手前のシルケジで思わず飛び降りた。時間は夕暮れ時、海沿いをガラタ橋を目指して歩く。ヨーロッパとアジアとは、便宜上この先のボスフォラス海峡で隔てられている。今、私が立っているところがヨーロッパで、金角湾からボスフォラス海峡を渡れば、そこはアジアになるというわけだ。シルケジからエミノニュまでの海沿いには、アジアへと向かう船が多数停泊している。
それにしても活気が凄い。土曜日の夕方だったこともあり、海沿いの歩道は散歩している人で溢れている。車やトラムもひっきりなしに走り去っていく。手前にあるイェニ・ジャーミーと、高台にあるスレイマニエ・ジャーミイを眺めながらガラタ橋を渡る。ガラタ橋は2層構造になっていて、下はレストラン街、上はトラムも車もひっきりなしに走っていて、歩道からは無数の釣糸が海に垂れている。ガラタ橋を渡り切るとカラキョイと呼ばれる地区だ。カラキョイの金角湾沿いは魚市場になっていて、ここで念願のサバサンドを手に入れた。たっぷりの油で焼かれたサバに、たっぷりのレモンを絞り、固めのパンに挟んで食べる。焼きサバのいい香りに食欲を刺激され、お腹が空いていたこともあり、一心不乱に貪り食った。
いつの間にか日が沈んで辺りが暗くなっている。4月後半のイスタンブールは、まだ肌寒い。イェニ・ジャーミーの裏側の路地から歩いてスルタンアフメトまで戻った。途中の適当な食堂で、キョフテ(肉団子)のトマト煮込みを食べ(というか、トルコの飯は旨過ぎて、逆に困る。正直かなり太ったし…)、移動の疲れもあったので、早めに宿に戻って寝た。
翌朝。疲れはまだ抜けていないはずだが、早い時間に勝手に目が覚めた。カルス行きの飛行機は昼過ぎに出るので、時間までスルタンアフメトを中心に街を歩く。早朝は人が少ないので快適だったが、9時にもなると観光客で溢れ返る。アヤソフィアなんて、入場のために長蛇の列ができていて、その列を見た瞬間、中に入る気がすっかり失せてしまった。まあ、さすがは世界に名立たる観光地。なにせ、東ローマ帝国からセルジュク朝、オスマン帝国と、1700年もの間世界の中心であり続けた街だ。これだけの長い歴史を積み重ねた街は、世界中見渡しても他にないだろう。
そして、現在もその歴史が更新されているのがこの街の魅力だろう。トラムは象徴的だ。スルタンアフメト周辺の道が狭い旧市街、その狭い道をトラムがどんどん走る。歴史のあるモスクの目の前をスタイリッシュなデザインのトラムが走り抜けていく。ここまで歴史と現在とがぐちゃぐちゃに混在した街には、あまりお目にかかったことがない。
他のイスラム諸国と同様か、もしくはそれ以上に、トルコの人々は旅人を温かく迎えてくれる。イスタンブールのような観光地では、もちろん客引きは多いが、普通の親切心で話しかけてくる人も多い。そして、ほとんどの場合、それはサッカーの話になる。イスタンブールにはガラタサライとベジクタシュ、フェネルバフチェの3クラブがあって、ガラタサライのサポであれば稲本潤一のことを覚えているし、ベジクタシュのサポであればイルハン・マンスズのことを聞いてくる。そして、私が大阪から来たと言えば、「おー、ガンバ大阪!」と返してくるが、セレッソ大阪は知らない。悔しい。去年のACLでベスト8まで残ったのに。ああ悔しい。
そういえば、イランを旅したときは、イスファハーンの路上で子供達に「カワサキ!カワサキ!」と声を掛けられた。最初なんのことだかわからなかったのだが、よくよく考えてみれば、川崎フロンターレがイスファハーンを本拠地とするセパハンとACLで死闘を繰り広げた後だった。
そういえば、シリアを旅したときは、アレッポの宿で出会ったマンチェスター出身のイギリス人と、ガンバ大阪が話題に上った。ちょうど、CWCでマンチェスターUとガンバ大阪が戦った年。「じゃあ、君はユナイテッドサポ?」と聞くと、ニヤリと笑って「本当のマンチェスターはユナイテッドじゃない。シティーだよ」と言った。こちらも思わずニヤリと笑って「それはこっちも一緒。大阪と言えばセレッソやで」と言った。彼は、今年は本当に美味しいお酒が飲めたことだろう。私がセレッソを肴に美味しいお酒を飲めるのは、いつになることやら。
世界共通言語としてのサッカー。この旅でもサッカーを好きでよかったといろんな場面で思った。そんなエピソードは、後でたくさん出てくる。
時間をみると、11時になろうかという頃。慌てて宿に戻ってバックパックを担ぎ、空港へと急いだ。