真冬の日本からアトランタへと十数時間のフライトを終え、気が遠くなるほどの待ち時間を空港の硬い椅子の上で寝て過ごし、うつろな意識のままでもう一度飛べば、地球のちょうど反対側、真夏の太陽が輝くチリに辿り着く。首都のサンティアゴは明るい日差しの下、夏の熱気に包まれていたが、とは言え南北に非常に長い国土を持つチリでは、南に行けば行くほどにどんどんと気温が下がっていく。南部の海沿いの街で、パタゴニアの入口となるプエルト・モン。日差しは降り注いでいても、空気はひんやりとして肌寒い。短い夏のこの時期、魚介類を扱う市場やお洒落な店が並ぶ大通りは観光客で賑わっていたが、路地を一本入れば、色褪せた古い建物が少し寂しさを醸し出し、地の果てが近いことを実感させる。
細く長い国土をさらに南へと下る。そこは地の果て、南米大陸最南端の街プンタ・アレナス。目の前に広がるマゼラン海峡を越えれば南極だ。海峡を吹き抜ける風は、南極の空気を運んでいるのか、恐ろしく冷たい。街の外れの丘の上には、木の柱に世界中の都市の距離と方角とを示す板が打ち付けられている。「大阪」を探し当てると17,116kmとあり、指し示された方角に思わず目を向けても、寒々とした山が連なっているだけだった。緯度が高いこの街では、1日のうち日の沈む時間がほとんどない。夜の23時を回ってようやく薄暗くなる。身に染みる寒さや、異常な日の長さに辟易していた僕を尻目に、ペンギンは短い夏を満喫するようにその表情は穏やかだった。
この地域では、1520年にマゼランがやって来るまで、奇抜な格好をした先住民が暮らし、とてつもなく素晴らしい文化を育んでいたのだが(知らない人は、「ヤーガン族」で検索すること!)、それは今では完全に失われてしまった。碁盤の目に整備された街を歩いていると、ところどころでヤーガン族をモチーフにした落書きを見つける。中南米では、そんな失われたものの大きさに思いを馳せることが多い。逆説的には、その文化は、失われるという事実をもって現在に息づいているとも言える。プンタ・アレナスの街が奏でる寂寥感は、そう考えさせるのに十分なくらい美しかった。
再び真夏のサンティアゴへ。信じられないことに、この旅で何より辛かったのは、その帰国の朝だったのだ。寝ぼけたまま2段ベッドの梯子から下りようとすると、見事に足を踏み外し、腰から落下して、そのまま床に叩きつけられた。起きるのもやっとの極度の腰痛の中、ギリギリの状態で帰国の飛行機に乗るはめに。夜にサンティアゴを発ち、人気のない早朝のアトランタの空港は底なしの空洞に見え、さらに冷たいみぞれが降るシアトルを経由する。帰路の地獄のような30時間。シアトル発関空行きの飛行機の窓から日本の地が見えたとき、何かが自然に込み上げてきたのは、腰の痛みのせいだけではなくて。