昔、ある島に敬虔なキリスト教徒の両親とその娘が住んでおった。娘は、島の外のイスラム教徒の男と恋をした。しかし、娘の両親は、敬虔なキリスト教徒である故に、娘と男が一緒になることを許してくれなかった。愛し合った二人は駆け落ちの段取りを整え、ある晩に決行する。夜の闇に紛れ、男が船で島まで娘を迎えに行く。ちょうどそのとき、突然の嵐で船は沈み、溺れ死んだ男の亡骸だけが島に辿り着いた。その亡骸を見つけた娘は、ショックで自らの命を絶ってしまう。父親が駆けつけた時にはすでに遅い。あ、そうそう、その娘の名前はタマーラといって、父親は心臓に持病を抱えている設定。娘の亡骸を見つけた父親は、ショックのあまり心臓発作を起こし、「アグッ、タマーラ・・・」と言って絶命したそうだ。それから、その島を「アクダマル島」と呼ぶことになったそうな。
・・・結局ダジャレかよと脱力感に襲われるこの昔話は、ドゥバヤジットで仲良くなった八百屋のおっさんから聞いたものだった。実際にそんな家族が住んでいたかどうかは知らないが、アクダマル島はワン湖に浮かぶ無人島で、アルメニア様式の教会が有名だ。
宿の部屋をシェアしているニコが帰って来たのは夜遅くだった。彼は翌日ワン湖の反対側にあるタトワンという街まで船で抜けるという。私はワンでもう1泊して、アクダマル島まで足を伸ばすつもりだが、この宿にもう1日滞在するという選択はあり得ないので、翌朝に宿を変えることにしていた。カルスから旅を伴にしたニコとも、今夜でお別れである。彼は世界中を巡っているらしいので、きっとまだ旅の途中だろう。よい旅を。
早朝に宿をチェックアウトし、前日のうちに目を付けておいた安宿に変えた。先の宿の半額以下の値段、共同のシャワーも(悪臭が凄まじいものの)ちゃんと備わっている。とりあえず、荷物を置いて朝食へ。なぜだか知らないが、ワンは朝食が有名なのだ。「Kahvati(朝食)Caddesi(道)」という名の通りまである。その路上には、名前に違わず、朝食店が軒を連ねている。焼きたてのパン、ハチの巣付きの新鮮なハチミツ、メネメン(トマト煮込みの卵とじ)と温かいチャイ。誰が言い出したのか、この街での朝食は「世界最高の朝食」とのこと。残さず美味しくいただいた。
アクダマル島へは、ワンからドルムシュに乗って1時間のゲワシュという湖沿いの小さな街まで行き、そこからアクダマル島へ渡る桟橋へ向かうドルムシュに乗り換える。まず、ワンからゲワシュに向かうドルムシュを探すのに苦労した。地球の歩き方やLonely Planetの案内も適当なうえに、道行く人に聞いても、英語が話せないだけでなく、人によって言うことが違う。結局、よくわからないまま間違ったバス停に連れて行かれ、直射日光の下で1時間近く待ちぼうけをくらい、さすがにこれはおかしいと感じて一旦中心部まで戻る。別の人に聞いた方向へ歩くと、ぜんぜん違うところにゲワシュ行きドルムシュが大量に停まっているのを発見した。既に2時間以上ロスしているが、まあ、よくあることだ。ゲワシュに行ける喜びだけを単純に味わっていればよい。
ドルムシュに乗り込むと、これまでの疲れでうとうとしてしまって、気付いたらゲワシュだった。降りたところでチャイを飲んでいると、アクダマル島への桟橋方面へ向かうドルムシュがちょうど発車しようとしていたので、熱いチャイを慌てて胃の中に流し込み、急いで乗り込んだ。5分ほど湖沿いを走ったところで降ろされる。ボートが3隻停泊した小さな桟橋と寂れたレストランの他は何もなく、たまに大きなバスが土煙を巻き上げながら通り過ぎていく。
桟橋に行くと、外国人は明らかに私一人で、船員らしき人の他は誰もいない。彼に聞いてみると、16人(!)集まらないと出航しないという。貸切りは120TL、なかなかのボッタクリ価格となっている。残り15人がやって来るという奇跡までひたすら耐えるしかない。堤防に腰掛けて湖をボーッと眺める。今日は天気がよい。ポカポカと温かいお陰で時折意識を失いながら(うとうと)、何かが起こるのを待っている。
しばらくすると、ドイツ人のご夫婦がやってきた。彼らも困っている様子だったので、もう少し待って誰も来なかったら貸切りをシェアしようと約束する。結局1時間は待っただろうか。客が新たに来る気配すらないので、船員と交渉して120TLを90TLにまけさせ、ご夫婦との割り勘の1人30TLで手を打った。貸切りのボートが今まさに出航しようとしたところで、明らかに船員には見えない人間が数人わさわさと乗り込んでくる。どこに隠れていやがったこのくそジジイ。まあ、これは予定調和の至極当たり前の光景でもあるわけで。
さて、アクダマル島は、アルメニア教会を中心に杏の花が咲き乱れる小さく美しい島だった。この日の天気は最高で、空は抜けるように青く、深く緑色に沈んだ湖とのコントラストが眩しく、思わず目を細めた。教会の裏側の小高い丘に一生懸命登れば、島の全景だけでなく遠く雪山まで綺麗に見渡すことができる。静寂が支配する島の周囲をゆっくりと歩き、その景色をしっかりと目に焼き付け、ボートで陸側の桟橋に戻った。ドイツ人のご夫婦はレンタカーで旅をしていたので、ゲワシュの村まで乗せていただくことになった。ゲワシュに戻るためにヒッチハイクを覚悟していたので、これは助かる。彼らはこれから近郊の遺跡を回るというので、誘っていただいたものの、僕はゆっくりと街歩きをしたかったので申し訳ないがお断りした。ほんと感謝。
ドイツ人ご夫婦に車で送っていただいたこのゲワシュは本当に小さな村だった。最初はすぐにワンに戻ろうかと思ったけれど、背後に絶壁のように聳えた雪山があまりに美しかったので、村を少し歩いてみることにする。村のメインだがシンプルな通りには大きなモスクがあって、青い空に突き刺さるミナレットが大迫力だ。こんな小さな村だと外国人は珍しいのだろう。道を歩いているだけで、数軒あるチャイハネのあちらこちらから声をかけられ、チャイを次々にご馳走になる。コミュニケーションはトルコ語の会話帳と覚えたてのクルド語の数フレーズのみを駆使。こちらのテーブルへ、いやいやこちらのテーブルへ、俺のチャイを、いやいや私のチャイを飲めや飲めやとたいへんなことに。結局、一銭も払わないままにお腹がたぷたぷになるまでチャイをいただいた。ガイドブックには載っていなくても、こんな素晴らしい村があるということを、自分自身が忘れないためにも、きちんと記しておきたかった。