2009年→2010年、インド、デリー。

ハリドワールに2泊、リシケシュに4泊した後、一旦ハリドワールに戻り、夕方のShatabdi Expressでデリーへ帰る。駅で電車を待ちながら眺める夕焼けが美し過ぎて、逆に辛い。

ほぼ定刻通り発車。平気で数時間遅れていた8年前とはえらい違いだ。深夜にデリーに着。メインバザールの安宿に入る。

そして、デリーでインド最後の1日を過ごす。超大都会であり、空気は汚く、車は多く、人は悪く、天気は曇りで、体の芯から冷える寒さ。昔から、どうしてもこの街だけは好きになれないし、同じ思いをしている旅行者は多いはず。ゲストハウスの1Fはカフェテリアになっているが、いつも旅行者が溜まっている。誰も外に出ようとしない。まあ、この日の寒さは相当だったので仕方がないが、陰の気がどっしりと腰を下ろす。

無類のモスク好きとしては、ムガル帝国時代の巨大なモスク、ジャーママスジッドは外せない。中東のモスクとは違って、いたってシンプルな造り。全体が茶色で統一されているのは、この地域の特色。空気が悪過ぎるのか、あまり大事にされていないのか、煤けているのが逆にいい。

ジャーママスジッドの門前にはバザールが永遠と伸びている。イスラム教徒は肉を食う、ということで、屋台でヒツジ料理(串焼き・ブリヤニ)を食す。口の中、約一週間ぶりに広がる濃厚な旨味!!

とにかくデリーの街歩きは疲れる。車が多く、人が多くて、空気が悪いし、天気も悪い。リシケシュの穏やかさが恋しくなる。昼過ぎには宿に戻ってゴロゴロ過ごして、夜には空港へ。そして、マレーシアのクアラルンプールへと飛び、旅はもう少しだけ続く。

2009年→2010年、インド、リシケシュ。

ハリドワールで2泊した後、リシケシュに向かった。ハリドワールから車でガンガーを遡ること小1時間の小さな聖地。ヨガで有名な村だけあって、ハリドワールと違って年配の欧米人が多い。不思議と日本人の姿はほとんど見かけなかった。冬のリシケシュは寒さが厳しいから、きっとゴアにでも逃げていたのだろう。

リシケシュの街の中心部はめちゃくちゃ騒々しい。聖地として知られているのは中心部からの外れたところ。街からガンガーの上流へ20分程歩き、吊り橋を渡ったところにある。なにせ、車が渡って来られないのだから静かに決まっている。ハリドワールで風邪を引いてしまったこともあったので、病み上がりには、この街の緩さが丁度良かった。全く下調べをして来なかったので1泊目は中心部の宿を取ってしまったため、2日目にはすぐ移動した。こちらの方が宿の雰囲気もよい。宿の中にはヨガ教室があり、一生懸命修行する白人たちを横目でみながら、ヨガにさして興味のないわれわれは、ひたすら街をブラブラしていた。

そして、日が傾けばガンガー沿いの寺院でプジャが行われる。異教徒でも見学できるし、入場料を取るなんて野暮なことはしない。ここでのプジャは生楽器・生演奏が1時間以上続く本格的なもの。人垣の真ん中では火を焚いて、楽器が演奏され、お経を読むというよりも歌い、川に祈りを捧げる。今まで見たプジャの中で一番深い。自分が誰で、今どこにいるのかわからなくなって、頭がくらくらする。昔からずっとこの光景を見てきた気がする。

こんな小さな街だから、夜はもちろん娯楽なんかない。数軒ある飲食店や雑貨店も10時には閉まり、人通りもほとんどない。酒も買えない。宿に帰ってさっさと寝る。日本では考えられない健康的な生活。

ガンガーには2つの吊橋がかかっている。下流の方がラムジュラ、上流の方がラクシュマンジュラ。泊っていたのはラムジュラで、ラクシュマンジュラまでは歩いて15分程。ラクシュマンジュラには巨大な寺院があり、この街の象徴的な存在となっている。

この日は一日中どんよりとした霧に覆われ、日差しが届かないせいで体の芯から冷えた。暖をとる手段は、チャイとハニージンジャーレモン(蜂蜜と生姜とレモンをお湯で溶いた飲み物。チャイの甘さに飽きたときに重宝)。後で聞いた話によると、霧で列車事故が多発し、北インド全体が大混乱だったそうだ。移動日じゃなくて助かったが、この街にいるとそんな情報も入ってこない。まあ、意図的に遮断していただけだが、日本では遮断しようと思っても遮断できるものではないし。

ところで、ハリドワールとリシケシュでは飯にたいへん苦労をした。聖地なだけあって、肉が食えず、野菜しかない。野菜といっても、イモ、マメ、カリフラワー、少しお金を出してトマトとチーズぐらいしかバリエーションがないし、もちろん3食カレーである。大好きなビンディ(オクラ)は季節外れ。最初は美味しくいただいたが、5日もいると飽きる。この国の飯事情はもっとなんとかならんのか。ネパールがあれだけ美味しいのに、インドがこんな有様というのは理解に苦しむ。

それから、人はものすごくよかった。デリーやバラナシの惨状(うざい客引き、騙し合い罵り合い)を想像して身構えていたので、肩透かしにあったような。インドへの旅では、どうしてもバラナシやアグラーに行ってしまうので、あれをインドだと思ってしまいがちだが、全然そんなことなかった。インド人いい奴多い。写真は、宿の近くで毎日シートを広げて古いコインを売っているおじいちゃん。仲良くなったので最終日の別れ際に買ってあげた。

2009年→2010年、インド、ハリドワール。

2009年→2010年の年越しはインドへ。仕事を急いで片付けて、ちょっとだけ早くお休みをいただく。8年前、学生時代の春休みに一人で1カ月かけて北インドとネパールを回ったので、今回は2回目。バラナシとかアグラーとかベタなところは前回に行ったので、今回の目的地はハリドワールとリシケシュにした。憧れのガンガーの源流まで行く時間がある訳もないし、本物の聖地の雰囲気だけを少しだけでも味わいたいと思う。

マレーシア航空でデリーに入ったのは深夜。メインバザールのゲストハウスで少し休み、早朝の電車でハリドワールへ向かう。ニューデリーの駅の混沌はインドを象徴する光景だ。電車に殺到する乗客を、駅員が棒を振り回して殴り倒す。これを眺めて初めて、8年ぶりにこの国に戻ってきたことを実感する。

デリーからハリドワールまで特急列車Shatabdi Expressで6時間。後で地図で距離を確認したところ150kmくらいだったから、インドの特急列車より日本の鈍行列車の方が明らかに速い。まあ、そもそも、人間が生きていくにおいて、そんなに速く目的地に着く必要はないのかもしれない。

ほぼ定刻通りに発車して、昼過ぎにハリドワールに到着した。とりあえず安宿にチェックインして、ガンガーに沿ってそぞろ歩く。ハリドワールはヒンドゥ教の最も重要な聖地で、(8年前の)バラナシの「俗」な雰囲気とは対照的だ。外国人ツーリストの姿はほとんどなく、身なりのいいインド人の旅行者が多く、落ち着いた空気が漂う。下流のどんよりと濁ったガンガーと違って、ヒマラヤから流れ出たばかりのガンガーの水は青くて流れが早い。

ハリドワールで最も重要な場所は、ガンガーの上流にあるハリ・キ・パイリ。多くの人が沐浴をする。北インドの真冬は厳しく、ヒマラヤから流れ出たばかりの水は物凄く冷たいが、全ての罪が洗い流されるのだから、そんなことは関係ない。

ということで、私も沐浴して参りました。下の写真、肌の白いジャパニが聖なるガンガーに突撃して、あまりにも冷たい水に凍えるの図である。効果はてきめんで、帰ってからすぐパソコンが連続して2台壊れたし、もっと大事な物もいろいろ壊れた。さすがシヴァ様は破壊と再生の神であります。現在、絶賛再生中につき、どうぞよろしくお願いします。

そして、日が傾くにつれハリ・キ・パイリには人が集まりだし、日が沈む頃にはガートが人で埋め尽くされる。プジャ(礼拝)が始まる。

小さな子供と両親、その祖父母とみられるお年寄りまで、早く来た者から川に近い方に場所をとり、ゴザを敷いてじっと待つ。もっと前に詰めろ、と誘導する係員のような人。日本の行事に例えるなら、田舎の花火大会といったところ。

ガンガーまで3mくらいのところに隙間を見つけて、座って待つこと30分程。気が付くと後ろは人でぎっしり。日暮れとともに、設置されたスピーカーから音楽が流されるが、スピーカーの容量関係なしに突っ込んでくるので、音が割れて少し間が抜けて聞こえる。何人かのオヤジが川の前に立って演説をし、その間にあちらこちらで火が灯される。火を持った人が回ってきて、人々はそれに群がる。ここいることを目的に、インド中から人々はハリドワールを目指す。ここでは、旅とは巡礼を意味する。

カメラを手に必死で追いかけていたら、いつの間にか終了したらしく、あれだけ熱心に集まっていた人々が唐突に帰り始めた。インドに来ると、インド人の余韻を感じさせない振る舞いによく出会う。例えば火葬の現場とか。さっきまで泣き叫んで悲しんでいたと思ったら、死体に火がつけばすぐに笑顔を見せたり。サバサバしているというか、アッケラカンというか、そんな国民性。世界(シヴァ)はもっと大きな存在であって、人間なんで所詮ちっぽけだし、どうせ死んでも輪廻だし、どうでもいいや、というような。小沢健二もライブでそんなことを言っていた。すごく共感できる。

この街は夜まで賑やかで、歩いているだけで十分に楽しい。ふらふらと散歩しながら宿に戻る。

朝のハリ・キ・パイリも素晴らしいと聞いていたので、がんばって早起きして行ってみたのだが、さすがに真冬の早朝は、沐浴している人もお祈りしている人も少なかった。でも、早朝の閑散としたハリ・キ・パイリは凛としていて、これはこれで美しい。温かいチャイを飲みながら、日が昇るのを待つ。