2009年→2010年の年越しはインドへ。仕事を急いで片付けて、ちょっとだけ早くお休みをいただく。8年前、学生時代の春休みに一人で1カ月かけて北インドとネパールを回ったので、今回は2回目。バラナシとかアグラーとかベタなところは前回に行ったので、今回の目的地はハリドワールとリシケシュにした。憧れのガンガーの源流まで行く時間がある訳もないし、本物の聖地の雰囲気だけを少しだけでも味わいたいと思う。
マレーシア航空でデリーに入ったのは深夜。メインバザールのゲストハウスで少し休み、早朝の電車でハリドワールへ向かう。ニューデリーの駅の混沌はインドを象徴する光景だ。電車に殺到する乗客を、駅員が棒を振り回して殴り倒す。これを眺めて初めて、8年ぶりにこの国に戻ってきたことを実感する。
デリーからハリドワールまで特急列車Shatabdi Expressで6時間。後で地図で距離を確認したところ150kmくらいだったから、インドの特急列車より日本の鈍行列車の方が明らかに速い。まあ、そもそも、人間が生きていくにおいて、そんなに速く目的地に着く必要はないのかもしれない。
ほぼ定刻通りに発車して、昼過ぎにハリドワールに到着した。とりあえず安宿にチェックインして、ガンガーに沿ってそぞろ歩く。ハリドワールはヒンドゥ教の最も重要な聖地で、(8年前の)バラナシの「俗」な雰囲気とは対照的だ。外国人ツーリストの姿はほとんどなく、身なりのいいインド人の旅行者が多く、落ち着いた空気が漂う。下流のどんよりと濁ったガンガーと違って、ヒマラヤから流れ出たばかりのガンガーの水は青くて流れが早い。
ハリドワールで最も重要な場所は、ガンガーの上流にあるハリ・キ・パイリ。多くの人が沐浴をする。北インドの真冬は厳しく、ヒマラヤから流れ出たばかりの水は物凄く冷たいが、全ての罪が洗い流されるのだから、そんなことは関係ない。
ということで、私も沐浴して参りました。下の写真、肌の白いジャパニが聖なるガンガーに突撃して、あまりにも冷たい水に凍えるの図である。効果はてきめんで、帰ってからすぐパソコンが連続して2台壊れたし、もっと大事な物もいろいろ壊れた。さすがシヴァ様は破壊と再生の神であります。現在、絶賛再生中につき、どうぞよろしくお願いします。
そして、日が傾くにつれハリ・キ・パイリには人が集まりだし、日が沈む頃にはガートが人で埋め尽くされる。プジャ(礼拝)が始まる。
小さな子供と両親、その祖父母とみられるお年寄りまで、早く来た者から川に近い方に場所をとり、ゴザを敷いてじっと待つ。もっと前に詰めろ、と誘導する係員のような人。日本の行事に例えるなら、田舎の花火大会といったところ。
ガンガーまで3mくらいのところに隙間を見つけて、座って待つこと30分程。気が付くと後ろは人でぎっしり。日暮れとともに、設置されたスピーカーから音楽が流されるが、スピーカーの容量関係なしに突っ込んでくるので、音が割れて少し間が抜けて聞こえる。何人かのオヤジが川の前に立って演説をし、その間にあちらこちらで火が灯される。火を持った人が回ってきて、人々はそれに群がる。ここいることを目的に、インド中から人々はハリドワールを目指す。ここでは、旅とは巡礼を意味する。
カメラを手に必死で追いかけていたら、いつの間にか終了したらしく、あれだけ熱心に集まっていた人々が唐突に帰り始めた。インドに来ると、インド人の余韻を感じさせない振る舞いによく出会う。例えば火葬の現場とか。さっきまで泣き叫んで悲しんでいたと思ったら、死体に火がつけばすぐに笑顔を見せたり。サバサバしているというか、アッケラカンというか、そんな国民性。世界(シヴァ)はもっと大きな存在であって、人間なんで所詮ちっぽけだし、どうせ死んでも輪廻だし、どうでもいいや、というような。小沢健二もライブでそんなことを言っていた。すごく共感できる。
この街は夜まで賑やかで、歩いているだけで十分に楽しい。ふらふらと散歩しながら宿に戻る。
朝のハリ・キ・パイリも素晴らしいと聞いていたので、がんばって早起きして行ってみたのだが、さすがに真冬の早朝は、沐浴している人もお祈りしている人も少なかった。でも、早朝の閑散としたハリ・キ・パイリは凛としていて、これはこれで美しい。温かいチャイを飲みながら、日が昇るのを待つ。