ラホール、その3。スーフィー・ダンスで夜は更けて。

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スーフィーとは、イスラム神秘主義とも呼ばれ、修行を通してアッラーに近づくことを目指す流派である。イスラムにおけるアラーは絶対的だ。アラー以外に神聖な存在を認めないイスラムにおいて、スーフィーとは異端の存在だった。しかし、イスラムが東へ拡大して他の文化を包摂していく中で、さまざまな土地に根付いたアメニズム的な神秘主義との幸せな融合が図られたのがスーフィーであると理解している。特に、パキスタンやインドのスーフィーはヒンドゥーの影響が強くみられる。ラホールの街中では、サドゥーのような格好をしたスーフィーの修行者をよく見かけた。そう、ここはインド亜大陸のスーフィズムの中心地なのだ。わくわくしないわけがない。

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僕らが宿泊したリーガル・インターネット・インは、毎週木曜日の夜にスーフィーの儀式に連れて行ってくれることで有名だった。「スーフィー・ナイト」と彼等は呼ぶ。イスラム暦では金曜日が休日となるので、木曜日の夜は朝までスーフィーのダンスで踊り明かすという。当初の予定では、木曜日にはとっくにインドに抜けているはずだったのだが、同行者が倒れたおかげでラホールに停滞することになり、思いがけず、このスーフィー・ナイトに潜り込むことができた。トルコなどではスーフィー・ダンスは見世物になっているが、ラホールは観光地化が全くされていないこともあり、真に「地」のものを見ることができる。だからこそ、木曜日の夜まで待たなければならないのだ。

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木曜日。時刻は夜の9時。僕らの他にも日本人を含む宿泊客5名と、引率の親父の合計6名でリクシャ2台に別れて乗った。繁華街とは逆方向、真っ暗な道を猛スピードで走るリクシャのライトが切り裂いていく。20~30分は乗っていただろうか。住宅地のど真ん中のようだが、街灯がほとんどないのでよくわからない。怪しい宗教グッズを売る夜店がいくつか並んでいる。昼間の明るい街を行く人々と違い、長髪を垂らした人相の悪そうな奴らがやたらと目立つ。宿の親父は、後ろを振り返ることなく細い階段を登ってモスクに早足で入っていった。慌てて後を着いて行くと、小さなモスクの中庭が会場となり、既に人で埋め尽くされていた。若者から中年がほとんどで、子供もちらほらと見かけるが、見事に男性ばかりだ。親父が後ろの方に場所を見つけ、座って待つように僕らを促す。庭の中心では、長髪に髭の屈強な男性2人が肩から太鼓を下げ、チューニングを行っている。10分ほど待ったあと、2人は、奇妙な形のバチを両手に持って太鼓を打ち鳴らし始めた。すると、別の若者が近寄ってきて物凄い勢いで頭を振り乱す。意識が飛んでトランス状態になっているのだろう。2つの太鼓の音は絡み合いながら独特のうねりを作り上げ、次第に速さを増し、観衆から野太い声が飛ぶ。太鼓のリズムが一息ついたところで、サックスを持った男が現れ、少し間の抜けた音色を奏でて彩りを加える。

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突然照明が落ちた。停電だ。その瞬間、ブーイングなのか歓声か、得体の知れない声が一斉に上がり、興奮と殺気がどんどんと増していくのがわかる。真っ暗闇の中、踊り手は激しく頭を振りながら手足を思い思いに動かし、打ち鳴らされる太鼓のうねりは複雑怪奇に変化していく。

1時間ほど経ち、目が暗闇にすっかり慣れたころ、突然灯りが戻った。灯りが戻っても熱気は冷めることはなく、さらに殺気立つ場内。自らの意志というよりも、内から込み上げる何かに突き動かされているかのように彼等は踊っていた。最初のクライマックスに差し掛かると、長髪の男が両手を広げ、くるくると回り出す。徐々に増す回転のスピードと、それに釣られるように激しさを増すリズム、それぞれが頂点に達したところで寸分の狂いもなくブレイク。決まった。その瞬間、踊り手の彼の意識はもっと大きな何かと一体化していたことだろう。そして、何事もなかったかのように、再びゆっくりと踊り始める。ずっと見ていたい気分だったが、時計を見たらもう日付が変わろうとする頃。変な姿勢で座っていたので腰を痛そうにしていた親父に促されて、しぶしぶ宿に戻ったのだが、スーフィーの夜はようやく火がついたばかり。場内にいた誰一人として、こんな時間にすごすごと帰る外国人なんか気にも留めていないのだった。殺気立つ場内、背後で上がる歓声。ラホールの夜は更け、ダンスは止まらない。

ラホール、その2。大(計画)停電の夜に。

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同行者が倒れた。フンザからラホールまで実に30時間にも及ぶバス旅、ラホールの厳しい暑さと舞い上がる埃、安い食堂でチャパティを揚げるギトギトの油、倒れた要因は複合的であると思われる。当初の予定では、ラホールからインドに入りダラムサラに足を伸ばすことを考えていたのだが、こんな無茶な旅ほど無理する必要はない。宿の主に延泊をお願いしに行く。幸いシリア人の親父と我らしか客はいなかったので、延泊には何の問題もなかった。ただ、この灼熱混沌都市の片隅のふざけた安宿に体を壊して滞在することが果たして好ましいことかどうかは、この際、考えないようにしたい。

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昼過ぎ。宿の共有スペースの屋上でゆっくりしていると、気温が最も高くなるこの時間に、突如としてテレビが消え、扇風機が止まった。停電だ。テレビでサッカーの録画放送を見ていたシリア人は、首を振って、その興味の対象を手元の小説に移した。彼は、ドイツ育ちで、今年のチャンピオンズリーグの結果にほくほくしている。ちょうど彼のお気に入りのバイエルン・ミュンヘンが、準決勝でバルセロナを叩きのめしたばかりだからだ。僕らがここにいた間、彼はずっとテレビの前に居座って、電気が来ているときはサッカーとドラマを交互に見て、そしてサッカーの試合が流れている間に停電が起こるたびに、いつも悲しそうな表情をして、首を振った後で小説に取り掛かっていた。既に1年ほど旅をしていて、カラチに飛んで友達と会ってから、中米かウクライナか、どこでもいいから涼しいところに行きたいと言っていた。

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同行者は部屋で寝ている。昼間の停電が終ったので、この時間は部屋の扇風機が回っているはずだ。僕はと言えば、再びラホールの旧市街に立っている。過酷な暑さからの解放、その夕闇の訪れを祝すかのように、あちらこちらからモスクからアザーンが鳴り響く。そうだ、イスラムは夜の文化だった。月と星とのシンボルが表すように、彼等は夜の闇を待って、灼熱の大地を渡り歩いた。そのせいか、イスラムの街は、夜になると一層その美しさを増し、人々の眼はギラギラと輝き出す。

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突然街の灯りが消えた。停電だ。頼りになるのは発電機を持つ比較的裕福な店の灯りだけで、その灯りと灯りの間の闇をホンダのバイクのヘッドライトが切り裂いていく。こうなれば好奇心旺盛な彼等も、珍しい日本人を見分けることはできない。闇の中なら、僕は、人の波に紛れ、あてもなく歩くことができる。そうだ、このへんで野菜を買って、宿に帰って料理を作ろう。近所のスーパーで見つけた中国製の安いインスタントヌードルにぶち込んで煮込んでしまえばいい。パキスタンのカレーは辛くて、体を壊すと食べられるものなんてここには何もないのだから。ラホールの旧市街の暗闇の中、そして、僕はひとり野菜を求めて歩き出した。

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ラホール、その1。歴史と混沌と停電の街と、全てを包み込むアザーンと。

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23時間の旅を終え、ラワルピンディ・ピルワダイのバスターミナルでタクシーを捕まえて高速バスのターミナルへと移動した。Daewoo Expressというバス会社を、地球の歩き方の読み方に習って「ダーウー!ダーウー!」と言っても全然通じないし、朝から大声で騒ぐおもしろ外国人扱いされ、暇そうなおっちゃんがわんさか集まってきてこちらを見て笑っている。見世物ちゃうわと思いながらいろいろ試した結果、「ダウェヴォー!!!」と叫んだら、タクシーの運ちゃんは「オオ、ダウェヴォー、オーケーオーケー」と言って、ようやく車が出た。もうガイドブックさえ信じられない。

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目的地は、パキスタン第2の都市、ラホール。ピルワダイのバスターミナルとは打って変わり、Daewooの高速バスターミナルは整然としていた。バスを待つ人の身なりはよく、逆にバックパッカーのみすぼらしい格好は浮いてしまうほど。バスに乗る前にはセキュリティチェックが入り、いざ乗り込めば豪華な3列シートで、足はしっかり伸ばせるくらいに広々としていて、座り心地は新幹線のグリーン車の上をいく。車内アナウンスには深いエコーが掛かりどこか妖艶さまで感じさせ、無愛想ながらも飲み物と軽食のサービス、きちんと舗装された高速道路と静かな走行音。つい数時間前の悪夢のようなバスとは全く別世界の何かに、僕らは乗っていたのだった。

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定刻通りに出発した高速バスは南の方角にちょうど4時間走って、定刻通りにラホールに着いた。リクシャを捕まえ、リーガル・インターネット・インへと向かった。ここはオールド・フンザ・インで勧められた安宿だ。部屋はボロいが、屋上テラスの洗濯機や台所は自由に使えるし、贅沢は言えない。さっそく洗濯機を回すと、洗浄工程の途中でピタリと動作が停まった。同じ宿に泊まっているドイツ系のシリア人が「停電だ」と教えてくれた。大都市であるラホールは、電気の供給が全く追いつかず、地区毎の計画的な停電があるとのこと。「次に電気が来るのは1時間後だね」達観した表情で彼は言った。ラホールは、あれだけ涼しかったフンザとは同じ国と思えないくらい、暑い。電気が停まるということは、エアコンはもちろん、扇風機すら停まるということだ。水シャワーを浴びて暑気を払い、宿の屋上でただただ佇む。疲れと睡眠不足で遠くなる意識のなか、電気が生きている隣の地区からお祈りを呼びかけるアザーンがいくつも重なって聞こえ、それが終わると、また何ごともなかったのかのように蒸し暑い静寂が訪れた。

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電気の復活を待って洗濯を終え、リクシャに乗り、城壁に囲まれたラホールの旧市街に出かけた。ここは、中央アジアから山を越えて侵入したトルコ系民族によるムガル帝国の都であり、ゴミゴミとした街には歴史が深く刻まれている。街の中に無数にあるモスクは、赤茶色を基調とした細やかな造形が美しい。モスクの周囲を取り囲むバザールは人が混み合い、細い路地が迷路のように入り組んでいる。西からやって来たイスラム文化は、ヒンドゥーと出会い、融け合い、この混沌の街を作り上げたのだ。

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ラホール旧市街の端に堂々と聳えるバードシャーヒー・モスクは、ムガル帝国の皇帝により建設され、インド・パキスタンで最も巨大で最も重要なモスクの一つである。休日のためか人で溢れかえっていた。バードシャーヒー・モスクの前に座り、ジュースを飲みながら休憩していると、イスラム圏でよくありがちなように、好奇心旺盛な人たちに囲まれる。写真を一緒に撮れや撮れやの大騒ぎで、「何処から来た」、「日本か、日本は最高だな」、「パキスタンは好きか?」などなどの質問攻めに合う。最初はまともに対応していても、僕らを囲む人垣はみるみるうちに増え、それが30人くらいになり、さすがに収集がつかなくなって理由を付けて逃げ出すことにした。リクシャを捕まえて宿に戻ると、日はすっかり沈む時間。屋上にいると、まもなく計画停電が再びやって来て照明が落ちた。真っ暗な中、突然遠くから響くアザーンが僕らを街を包み込むのだった。

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