この日をフンザ最終日に決めた。明朝のバスでラワルピンディに戻ることにした。ギルギットから飛行機という手段もあるのだが、パキスタン航空はネット経由で購入できないし、チケットを扱っている旅行代理店はカリマバードにはなく、チケットを買うためにわざわざ3時間かけてギルギットまで行かねばならない。しかも、1日2便のラワルピンディ行きは、少しでも雲が出れば欠航するので、乗れる保証もない。結果的には、ホッパーに行った午後から厚い雲に覆われてきたので、バスを選んで正解だったと信じている。宿の親父は、この時期は天気が悪いことが多いから、飛行機に乗るなら6月だよと教えてくれた。
宿代を払うため、手持ちの米ドルをパキスタン・ルピーに替えなければ。カリマバードは旅行者がそこそこ多い街のはずだが、両替所は致命的に少ない。金曜日だったせいで村唯一の銀行はお休みで、もう一軒の両替所に行くと、兄ちゃんが暇そうに座っていた。「ボスがいないと両替できないから、昼にまた来い」と言われる。昼過ぎに覗いてみると、同じ兄ちゃんが相変わらず暇そうに椅子に座っているだけ。今から連絡してやるから待っていろと言って電話をかけて、「16時にもう一度来い」と言った。おい、お前は、何・の・た・め・に・そ・こ・に・い・る・の・だ。両替するのも1日がかり。焦るな。焦るな。不安と伴に16時に三度目の来店を果たすと、ちょうど店の前に車が停まっていて、ようやく登場したボスに両替してもらうことができて、無事宿代の確保に成功。
両替を終えて、厚い雲の向こうに日が沈みゆくのを感じながら、部屋の前の椅子に座り、トマス・ピンチョンの分厚い本を読んでいるとブブルがやって来たので無駄に重いそれを横に置く。ブブルは、植えたばかりのサクランボやイチゴの苗の周りの雑草を抜いて、実がなるまでにはあと2~3年はかかるだろうねと言った。地元の高校を卒業した彼は、大学が決まるまでの間の休暇中で、数カ月後には街を出てイスラマバードかギルギットの大学に行くことになるらしい。僕が「でも、この街がBest Placeだと思うよ」と言うと笑顔で頷いていたから、きっといつか戻ってくるのだろう。彼ならいいガイドになれるはずだ。見慣れたはずの景色も一段と美しく映える最終日。結局のところ、両替と散歩と読書しかしていない。それでいいのだ。
さて、朝早く宿の親父の車でアーリアバードまで送ってもらうとNATCOのバスが待っていた。これからの行程を思うと、何ともふてぶてしく見えてくる。別におもしろくもなんともないけれど、同じルートを辿る旅人も多いと思うので、当時のメモを基に時間だけを記しておきたい。7時15分、アーリアバード出発。10時前ギルギットを過ぎたところで検問。14時、チラースで昼食の休憩。この辺りで通り雨。15時45分、検問。18時30分、ダスーで休憩。その後、さらに検問を2、3箇所通過。日が暮れ、22時ベシャームで休憩。屋台でチキンスープを食す。そして翌朝6時20分、ラワルピンディのバスターミナル。でも、身も心も解放され、吐き溜まりのようなこんなバスターミナルでも、少しだけ優しい気持ちになれたのだった。だが、そのときの写真は無い。なぜなら撮る気力すら無かったのだから。でもこれは往路よりも2時間も早い、それでも、23時間、それは過酷なる道のり。