フンザ、その1。あこがれのこの土地で。

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NATCOのバスは何の前触れもなく停まり、残り少なくなった乗客の全員が立ち上がった。仲良くなった乗客のおじさんが「着いたよ」と声を掛けてくれた。時計を見ると22時。実に25時間に渡る旅の果てに、NATCOのバスはアーリアバードに着いた。外は漆黒の闇。高地にあるため空気は澄み、そして冷たい。僕らの目的地であるカリマバードは、このカラコルム・ハイウェイからは少し外れたところにあり、ここからさらに別の車で移動しなければならない。バスを降りると、偶然同じバスに乗り合わせた日本人の女の子を出迎える車が来ていたので、相乗りさせてもらうことになった。彼女がいなかったら、この満身創痍の状態で、いったいどうなっていたことか。心から感謝。

アーリアバードからカリマバードまでは車で10分ほど。オールド・フンザ・インという評判のいい宿の前で降ろしてもらった。彼女らとは一旦お別れ、また会いましょうと約束をして。ここはカリマバードの街の起点・ゼロポイントと呼ばれる場所で、数軒の安宿が集まっているのだが、真っ暗だったのは停電のせいだった。宿の人に招かれて中に入ると、若者3人がガスランプの小さな灯りを囲んでいる。いただいた一杯のウェルカム・ティーが冷えた身体を温めてくれる。彼等のうち、1人は日本語が堪能で、「めだかちゃん」と名乗った。理由はもちろん池乃めだかに似ているからで、宿の隣のネットカフェで働いているという。別の1人はブブルという若者で、宿で働いている。地元の高校を卒業し、大学に入学するまでの休暇中だとのことだった。ブブルに案内してもらった部屋は、一旦建物の外に出て急な階段を下ったところにある。闇に目が慣れると、彼が持つ懐中電灯よりも、今までに見たことがないほど明るく感じる月の光が足元をしっかりと照らしてくれていた。荷物を降ろすと、安心感と共にどっと疲れが襲ってきて、そのまま清潔なベッドに潜り込み泥のように眠った。

朝日が登る前に目が覚めた。ごそごそとベッドを抜けだして部屋の扉を開ける。目の前に広がる光景は、現実か、それとも夢の続きなのか。自分の足元からずっと目を追っていくと、遥か下にはフンザ川が流れ、その谷の向こう側には雪を被った山々が聳え、それらは7000m以上の高さまで駆け上がって空を切り裂いている。僕の目の前には、視界を遮るものは何もなかった。写真は上から順番に、フンザ川の向こう側で朝日を浴びるディラン(7270m)、さらにその奥のラカポシ(7788m)。そして背後にはウルタル(7388m)。小さな自分を取り囲む7000mを越えるカラコルムの山々の圧倒的なこと。

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朝日が昇り切ると、世界がさらに鮮やかさを増していく。山に積もる雪の白色、木と草の緑色、岩肌の茶色、空の青色、色という色がクリアに変わる。前日のバスの苦行も、これまでの出来事全ても肯定できるこの瞬間。朝飯を済ませ、さっそく散歩に出かけた。オールドフンザインのあるゼロポイントから坂道を登って行く。眩しい陽の光のなかを、登校中の学生と一緒に歩く。標高は3000m以上あるので、少し歩いただけでも息が切れる。閑散とした土産物屋が並ぶ小道を抜け、まずはバルティット・フォートを目指した。その建築様式は、この土地がその昔チベットの影響下にあったことを物語っている。西からやってきたイスラム文化は、ここで仏教・ヒンドゥー文化と出会ったのだ。

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フォートの中を一通り見学して外に出ると、小さな大砲が置いてある。僕らを案内してくれたガイドは、これを「Pride of Hunza」と呼んだ。フンザにたった1基しかなかったこの大砲は、植民地時代にやって来たイギリス人に押収されギルギットに隠されていたそうだ。そしてフンザが独立した証として戻ってきた。もう二度と火を噴くことがないだろうその大砲は、昔と同じようにフンザ川の向こう岸を狙い澄ましているように見せかけつつ、永遠の深い眠りについている。

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カリマバードの街から少し山を下ると、アルティット・フォートというもう一つの城塞があり、バルティット・フォートよりもこちらの方が実は少し古い。ここまで来ると観光客向けの店すら皆無になる。ここに暮らす人々の生活を感じながら民家と畑の間を抜けて歩いていくことになる。

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アルティット・フォートの屋上からは、カラコルム・ハイウェイのさらに奥、フンザ川沿いを登るルートの整備が進んでいるのがよく見える。あの山の向こう側にあるはずのウイグルへ、旅の思いはさらに膨らんでいく。

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いつの間にか日は大きく傾いていた。7000mの山の間から斜めに差し込む日の光を眩しく感じながら山道を登ってカリマバードまで戻った。昨日の25時間のバスって何だったっけ?身体はすっかり馴染んで、それはまるで昔からこの土地に住んでいたかのようだ。実はこの日、僕ら以外に観光客の姿を一切見かけなかった。4月上旬の杏の花の季節が終わると、夏になるまでのオフシーズンになるそうだ。この土地を舞台とした映画も話題になったし、これからツアー客が増えるという噂も地元の人から聞いた。身勝手な旅人としては、多くの人がこの土地を訪れてその魅力にやられることを願い、そして同時にこの土地の純粋さと静けさが保たれることを願っている。

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そして、翌日はウルタルのベースキャンプまでのトレッキングに出かけた。このときは、その過酷さを知ることもなく。

カラコルム・ハイウェイ。その過酷なる往路、その2(ベシャームからアーリアバードまで)。

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それでも、まだ「ここから頑張って走れば15時頃には着くんじゃないか」とか甘いことを考えていた。ガイドブックによれば、ピンディから目的地のカリマバードまでは約700km。ピンディからベシャームまでは250kmなので、残りは450kmとなる。ハイウェイで時速60kmをキープすれば昼過ぎには着くだろう。都合のよい単純計算を頭に巡らせるのは、他にできることが何もないから。人間は弱い状況に置かれると、僅かな望みにすがり、裏切られては、さらに弱るを繰り返す。

そんな切ない思いを乗せてNATCOのバスはカラコルム・ハイウェイを走る。ハイウェイと呼べども、その実態は、川に向かって落ちていく崖の一部を削って平坦にすることで辛うじて「道」と呼べたもの。山一面に豊かに広がっていた緑はいつの間にか勢いを失くし、それに替わって焦げ茶色をした岩肌ばかりが目立つようになり、障害物も増えてくる。道のど真ん中には崩落した大きな岩が傍若無人に居座り、崖の上から流れ落ちてきた雨水はそのまま道を横切って崖の遙か下のインダス川へと落ちる新たな滝を作る。岩を避け、滝を乗り越え、NATCOは走る。対向車とギリギリですれ違う、そんなときに視線をやると、バスの数十センチ外側は、数十メートルの切り立った崖で、睡眠不足の運転手がハンドルを少し切り間違えればそのまま転がり落ちるという恐怖に思わず呻く。ガードレールなんてここしばらく見たことがない。そもそも、こんな道で時速60kmをキープできるわけがなかった。しばらくすると、遠くに雪を被った山を望むようになり、いよいよヒマラヤ山脈が近づいてきたことがわかる。そしてNATCOは小さな街に入った。「ダスー」という標識が見える。時刻は10時。ここで一旦休憩となる。

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ダスーでの休憩を終え、NATCOは走る。次の街のチラースまで半分の距離を来たところで検問を越えた。ここからがパキスタンの北方地域。バルティスタンとも呼ばれ、カシミール地方の一部でもある。窓の外の景色にすっかり飽きた僕がうつらうつらしていると、突然の衝撃を感じて一気に目が醒めた。急停車したバスから運転手が慌てて外に飛び出し、それに続いて何人かの乗客も降りていく。なにごとかと思い、僕も外に出てみると、彼等は前輪右のタイヤの周りに集まってわいわい騒いでいた。その中に潜り込み、近寄ってみれば、タイヤは無残にもペシャンコに潰れていた。パンクだった。

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運転手がトランクからジャッキとスペアタイヤを引っ張り出してきた。乗客も4、5人も手伝って、みな汗だくになってタイヤを交換している。強烈な直射日光を避けるものすらないこんな場所で、僕は、ただ諦めと共に全てを受け入れる覚悟を決める。僕らのNATCOは、道のちょうど半分を占拠していた。道は狭く、他の車が通るたびに交通整理と作業の中断が求められるので、なかなかスムーズに進まない。バスやトラックだけでなく、乗用車やバイクまで、車の往来は意外と多い。僕は少し離れたところに座ってそんな一進一退の状況を眺めていた。褐色一色の岩山に、パキスタンのトラック野郎が誇るデコトラの原色が見事によく映える。

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1時間以上かけてタイヤの交換が終わった。拍手と歓声。愛すべきNATCOが再び走り出す。次の街、チラースに着いたのは結局15時。この時点で、出発のピンディから18時間。このあたりでは、すっかり写真を撮る気力すらなくなってしまった。食欲は全くなかったが、食べないと衰弱するばかりだからと思い、ビリヤニを胃の中に無理やり押し込んだ。チラースを過ぎると舗装されていない道も増える。からからに乾いた大地、尋常じゃない量の粉塵を巻き上げながらNATCOは走る。これだけの長時間、険しい山道を走り続けていてもエンジンはタフに回り続け、一方で僕はぐったりと席に倒れ込み、その揺れにただひたすら身を任せている。

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時刻は18時。ピンディ出発から21時間がたった。ここはギルギット、パキスタン北方地域の中心都市の、そのバスターミナルだ。既に太陽は遠い山の向こうに隠れてしまった。標高が高く、長袖のシャツ1枚では肌寒い。この次の街が終点のアーリアバードだ。あともう1時間くらい?そう思っていたら、地元の人から「あと4時間だね。がんばれ」と励まされ、その場にへなへなと崩れ落ちた。

ギルギットを出ると、窓の外はもう真っ暗だ。同じバスに乗りながら、ついに2度目の夜を迎えた。景色で紛らわすこともできないので、気分はさらに塞ぎ込む。しかし、このあたりからNATCOは小さな集落ごとに停まり、乗客が1人また1人とバスを降りていくのだった。彼等は20時間以上同じ空間で共に耐え忍んできた仲間であり、いつの間にか厚い友情が僕らを繋いでいた。降りる人は、残る人と握手をして去って行く。ピンディから僕らの前の席に座っていた60歳くらいの老夫婦。ほとんど姿勢を崩すことなく、じっと耐えていた背中が印象的だった。そして今、おじいさんが、携帯電話で誰かと頻繁に連絡を取り合っている。心なしか声は明るい。名前のない小さな集落でバスが停まると、ついに老夫婦が立ち上がった。僕らの方に振り返り、笑顔で握手を求め、声を掛けてくれた。ウルドゥー語だが「あともう少しの辛抱だ、がんばれよ」と、きっとそんな感じだろう。大きな荷物を担いでバスを降りた彼等を、若い親子が待ち構えていて、孫に違いないその子がおじいちゃんに思いっ切り抱きついていたのを見て、僕はほろりと泣きそうになる。こんな辺境の地に住む人たちが、それぞれ抱えるドラマを乗せてNATCOは走るのだった。目的地まで、本当にあと少し。窓の外に目をやると、真っ暗だと思っていた空間のその向こう側に、雪を被った巨大な山々が、月の光を受け、白くぼんやりと浮かんでいた。

カラコルム・ハイウェイ。その過酷なる往路、その1(ピンディからベシャームまで)。

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窓の外は薄くぼんやりと白み始めているようだった。視界が悪いのは靄か霧か、それとも眼鏡の曇りのせいか。ここはどこだ。そうか、パキスタンにいるんだった。そして僕はバスに乗っている。しかし、窓の外の眺めはぴたりと静止している。ということはバスは停まっているということだ。動いていないバスに乗って、僕はどこに行こうというのだ。ここはどこだ。誰かの声が聞こえる。誰かを呼んでいるらしい。誰だ、僕だ。僕が呼ばれている。ハッと目を覚ますと、バスの運転手が僕のすぐ目の前にいて、バスを降りるように促していた。僕らの他に偶然乗り合わせた日本人の女の子も叩き起こし、先にバスを降りさっさと歩く彼に、貴重品だけまとめて慌ててついて行く。外の世界は深い朝靄に覆われていたが、次第に目が慣れてきて、ここがどのような場所であるか認識できるようになる。そこは、車が辛うじてすれ違うことができる程度の幅の山道で、片側は見上げるほどに急斜面の山が聳え、逆側は深い崖となっていて谷底には川が流れている。僕らの乗ったバスの前には、さらに数台のバスが列をなしている。バスとバスの間をすり抜けて歩くと、検問があり、手動の遮断機が道を塞いでいた。

検問ではライフルを持った警備兵が僕らを待ち構えていた。立派な髭を持つ彼は、僕のパスポートとビザを確認して慣れない手つきで番号をノートに書き写し、どこから来たのか(「ピンディ」と答える)、どこに行くのか(「カリマバード」と答える)を、独特の発音の英語で質問し、最後に一緒に来たバスの運転手から車のナンバーを聞く。それだけ終わると戻っていいという仕草をしたので、バスの座席で待っていると、手動の遮断機がするすると上がり、バスは走り出した。

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カラコルム・ハイウェイのうち、ここからギルギットまでの間は、過去何度か山賊の襲撃事件があったせいで、警戒が非常に厳しくなっている。ピンディを昼出発するバスがなくなったのもそのせいで、夜間にこの地域を走行することを避けるためらしい。この先、このような検問は5箇所ほどある。場所により、警備兵が自ら記入するところや、こちらに記入を求めるところなど、多少のしきたりの違いはあるものの、たいていはパスポートの顔写真のページとビザのページのコピーを渡せばそれでこと足りる。バスを降りて、彼等と話すのも気分転換に悪くはないのだが、検問のたびに2、30分以上待たされることもあって、無駄に時間がかかる要因の一つであることは間違いない。安全を確保してもらっているという意味ではありがたいのだが、ただ、このときは自分がどこにいるのかもわかっておらず、昼過ぎにはカリマバードに着くんじゃないかと、わくわくしながら窓の外を流れる景色を眺めていた。

朝靄も晴れ、日の光を受けて、窓の外の景色がくっきりと形をなしてくる。谷底に目をやると、深い緑色に濁った川がちらちらと見える。おそらくこれはインダス川だろう。しばらく走ると、崖にへばりつくように建てられた家屋が現れてきて、小さな街に入ったようだ。「ベシャーム」という標識が見えた。バスは一旦ガソリンスタンドに入り、そのまま休憩となる。時刻は朝の7時、約10時間走ったことになる。もう、半分以上は来ているに違いない。熱いチャイを飲みながらガイドブックの地図を引っ張りだす。ここベシャーム、ピンディを出て、目的地のカリマバードまでの距離の僅か3分の1のところにあった。目的地まで30時間?あまりのショックで、飲んでいたチャイが気管に入り、ゴホンゴホンと思いっ切りむせる。

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