旅好きな人間が、ある地域に心を奪われ、何度も足を運んでしまうことを「(地域に)呼ばれる」と表現する。私の場合、それは中東だった。2007年にモロッコ(正確に言うと中東とは少し違うが)を旅してイスラム文化に触れて以降、定期的に呼び出しがかかり、シリアを旅したのが2008年、イランを旅したのが2010年。そろそろ次の呼び出しがかかる時期だ。そういえば、去年のキューバの旅は、最初イエメンに行くつもりだったのを、治安がとんでもなく悪くなったので、直前に変更したんだった。
そこで、このゴールデンウィークに少し長めに休みをとってトルコに行ってきた訳だ。しかし、正直言うと、トルコはメジャーな観光地としてのイメージが強くて避けていたところがある。31歳のおっさん一人でカッパドキアやエフェスに行っても虚しさが募るだけだ。ふと、トルコの地図を広げてみた。トルコの国土は東西に長く、有名な観光地は西側に集中している。じゃあ、東は?「ドゥバヤジット」「ディヤルバクル」「シャンルウルファ」「ガジアンテップ」・・・。聞き馴染みのない街の名前がたくさん出てくる。それらの街の写真をパソコンの前で眺めていると、それはそれは猛烈な勢いでお呼びがかかり、私の心は踊り狂った。
トルコの東側は、トルコ人ではなくクルド人が多く住む地域だ。彼らは「独自の国を持たない世界最大の民族」として知られ、テロ組織とされているクルド労働者党(PKK)とトルコ政府との紛争や、国は違うがイラクのフセイン大統領による毒ガスでの大量虐殺、そして、2011年10月に起こった大地震。日本での数少ない情報源から得られるイメージは、明らかに悪い。しかし、本当のところは、美しい土地に素晴らしい人々が住んでいるのだ。そして私は、アナトリアの果てしない大地をひた走りながら、そのギャップを肌で感じつつ、この地域の抱える矛盾について、ずっと考えさせられていた。
トルコの東側は観光地化されていないことがひとつの魅力だが、同時に公共交通機関がプアだったり、いい安宿が少なかったりと、旅をやりづらい土地でもある。そのため、いつも以上に多くの人に世話になった。イスタンブールのドミトリーで派手なガッツポーズで迎えてくれたインドネシア人のAtmojo、前半の旅程が偶然にも重なり、ツインルームをシェアしたワンの宿が共同シャワーすらなく、共に打ち震えたアメリカ人のNico、めったにバスが通らないアクダマル島への桟橋から近くの村まで車で送ってくれたドイツ人のご夫妻、シャンルウルファの宿で山と積まれたビールを前に夜遅くまで語り合ったHelgaとKenneth、その語り合いの中からネムルート・ダーまでの車をシェアしてくれることとなり、道中のキレキレの掛け合い漫才に大爆笑させていただいたEmmaとHelmut、そして、この小汚い東アジア人に、チャイを奢り、ビールを奢り、ヒッチハイクに気軽に応じてくれ、片言のクルド語とトルコ語を駆使して語り合った現地の人々。この旅で出会った全ての人に感謝。今回の旅は、本気で書きたいことが山ほどあって困る。
おっと。その前にまだ南インドの旅が完結していないので、まずはそちらから。