忘れられた小沢健二。

ほんとだったら、twitterとかFacebookで適当にボソッと呟いて終わるようなネタなんだが、伏線が多過ぎて訳分からんようになるからブログで長文書くよ。

買ってしまったんですよ、小沢健二「我ら、時」。そりゃ、ぼったくりの信者ビジネスだという批判もあるし、その批判は確かにその通りだと思うし、CD3枚と本2冊にいろいろ付属品含めて15,000円は高いだろうけど、個人的には好きな音楽や好きな本にお金をかけることに抵抗感は持っていない。なにより、去年の「ひふみよ」で聞いた「ぼくらが旅に出る理由」のアレンジが素晴らしすぎたので、もう一度聞きたかったというのがある。今の気分的には「夢が夢なら」だが、やっぱり「ぼくらが旅に出る理由」が一番好きな曲だ。

で、普段は仕事があって家にいることはほとんどないから、通販で購入したものは事務所に届けることにしている。しばらく年度末のバタバタで忙しくて事務所に行けなかったので、未開封の段ボールのままほったらかしておいたのだが、だから、わざわざ日曜日に取りにいったのだ。昨日は深夜3時までミナミで飲み腐っていたので、昼過ぎに起きて、空堀まで美味しいカレーを食べに行って、ひょんなことで大阪に来た両親と話をし、その後で花見の場所の下見をする友達と合流する前、わざわざ自転車飛ばして事務所まで取りに行ったのだ。段ボールを開けて、CDと本だけ鞄の中に入れた、と、思っていた。

友人と合流し、花見の場所は桜ノ宮の駅の北側にしようということに決まり、まあ、せっかくだからと、行きつけの天満の台湾料理屋でしっぽり飲みながら、キャバレーでドラムを叩いていた飲み屋のおっちゃんと盛り上がって、家に戻ってきたのが11時。明日も早いし、風呂に入って、歯も磨いて、さて、聞きながら寝ようかと思って鞄の中を探ってみたら、ない。ほんとにない。引っくり返したが、ない。真っ青になったよ、久しぶりに。

まさかと思って、パジャマのまま事務所に走ったさ。あった。綺麗に事務所の机の上に置いてあった。この忘れ物癖なんとかならんもんか。わざわざ夕方に取りに行ったものをそのまま忘れて帰るという。

で、この駄文を書きながらCDを聞いているのだが、ちょうど今、「ぼくらが旅に出る理由」に差し掛かったのだけれども、いい、ほんとに。ボトムの堅さがたまらない。オリジナルは派手派手アレンジだが、これくらいシンプルにすると歌の良さが引き立ってくる。別に信者じゃなし(そのはずだけど)、誰かに拘らなくてもいいのだが、素晴らしい音楽家と同じ空気を共有できていることは本当に幸せなことだ。

イラン、おまけ。

相対性理論については、別にここでの説明が不要な程に、いろいろなところ(主にネット界隈)で盛んに議論されているので、今更深く掘り下げるつもりは毛頭ない。個人的には、狙い過ぎな歌詞が、個人的にドンピシャであったのと(四角革命とか、バーモントキッスとかが、革命を目指した時代への捻じ曲げられた愛であるとか)、まあ、要するに単純に音楽として非常に品質が良いため、好んでよく聞いている。

ところで、カシャーンからアブヤーネへのタクシーの車中、お菓子をご馳走になりすっかり打ち解けたドライバーが日本の歌を聴きたいと言ってきた。そのとき手持ちのデジタルプレーヤーに入っていた日本の曲は、トクマルシューゴと、じゃがたらと、相対性理論の「シンクロニシティーン」。その中から1曲選べと言われれば、まあ、この曲しかないだろうということで、私のヘッドフォンを運転席の奴の頭に付けて「パラレルワールド」再生してみた。イントロのキックからノリノリのドライバー。

そして、

サビの「パラレルパラレルパラレルパラレルパラレルパラレルワ~」でスイッチが入り、歌い出す。ろくに英語すらしゃべれないイラン人タクシードライバーが歌う相対性理論の「パラレルワールド」。音楽が国境を越えた瞬間、しかもそれが相対性理論。シュールだ、しかし。しかし、車内は大盛り上がり。

次の日、アブヤーネの現実を知った後でホテルまで迎えに来てもらったときにも、「ハラレルハラレルハラレルワ~」と、繰り返しの回数を若干間違った状態で嬉しそうに歌っていた。おそらく彼は、「パラレルワールド」が日本人なら誰でも知っている有名曲だと思い込んでいることだろう。今後、彼が拾った客で日本人だと見れば、ドヤ顔で相対性理論らしきメロディーを歌い出すだろう。そんな胡散臭いドライバーがいれば、仕込んでしまったのは私です。相対性理論を知っている日本人、しかもイランに来るバックパッカーともなれば、ほとんど該当しないよねえ。

ドヤ顔で歌い出したものの、キョトンとする日本人を見て悲しむ彼の顔を想像すると、ちょっとだけ切ない気持になってくる。いやいや、実際、いい奴だったので、もし彼のタクシーに乗るヒトがいれば、優しく取り扱ってあげていただけることを切に願う。