宿をチェックアウトしたとき、外はまだ暗かった。朝の5時半。眠そうに停まっていたリクシャを拾ってマドゥライ郊外のバスターミナルへと向かう。細い路地を縫うように走るリクシャ、しかし、早朝から渋滞に捕まる。バスやトラックだけでなく、大量の荷物を積んだ自転車や手押し車までが細い通りを占拠していた。いったい、こいつらは何時に寝ているんだろうと不思議に思いながら、リクシャから身を乗り出して写真を一枚。
渋滞をなんとかすり抜け、15分程ひた走ってバスターミナルに着いた。だだっ広いバスターミナルは、さすがに閑散としている。今日はインド大陸の最南端・カーニャクマリに向かうのだ。表示通りに進むと、その場所にバスが1台止まっていたので、バスの車掌に確認をとって乗り込んだ。席だけ確保して一旦バスを降り、近くの売店でドーナツを見つけて購入。もちろんスパイスは効いているのだが、決して嫌な味ではない。温かいチャイと一緒にありがたくいただく。
座席が半分ほど埋まったところで、南に向けて出発。ローカルバスなので、当然の如く窓は閉まらない。田舎道を爆走するバス。直撃する風。南インドに毛布なんて持ってくるはずもないので、唯一の長袖のパーカーのフードをしっかり被って耐える。日が昇り、ようやく快適になったと思ったら、大きな街に到着して大量の人が乗り込んできた。極端な寒さは極端な暑さに変わり、つい数十分前まで命綱だったパーカーを脱ぎ捨てる。バスはいくつも街を経由して、人を乗せては降ろしながら、南へ南へと向かう。うとうとしていると、車掌から呼び止められた。カーニャクマリ到着である。時間は12時近くになっていた。
驚いたのは人の多さだ。道の両側には服や鞄を売る店が並び、その間を人が埋め尽くし、けたたましいクラクションを鳴らしながらリクシャが人の波を切り裂いていく。どうにも疲れる街である。街の中心にある寺院の近くで宿を探すが、どこも満室ばかり。たまたま部屋が空いていても請求される値段は法外。ようやく確保できた宿は、街の外れで(とは言っても小さな街なので、中心部まで徒歩5分くらいだが。)、掘っ立て小屋の中に押し込められた湿ったベッドと、構造上閉めることのできない窓。これまでの旅の中でも、間違いなくワーストに近いものだった。
聖地と聞いていたカーニャクマリだが、ここはインド人にとっての一大観光地なのだ。街の中心にある小さな寺院には参拝客がひっきりなしに訪れ、向かいの島に渡るフェリーには大行列。どこのレストランも満席の状態。中心部から少し離れた地元向けの安食堂でミールスを食べてから、海沿いのガートに出てみた。明らかに家族旅行と思われる身なりのいい人々が沐浴をしているが、厳かな雰囲気は皆無。もちろんサドゥなんかいるわけがない。ガンジス川沿いの聖地が持つような、金持ちも物乞いも、カーストの矛盾ごと全てを丸め込むような包容力はこの地にはなく、沐浴は単なる海水浴と化している。
繰り返すが、カーニャクマリはインド人にとっての一大観光地なのだ。それなら、それなりの楽しみ方がある。胡散臭い造りの展望台、センスのない彫像が並ぶ公園、しょぼい水族館、開くことのないマジック・シアター。視点を少し変えて、探偵ナイトスクープ的なパラダイスを探し歩くことにした。
日が傾き出した頃、夕日を眺めるために、再び海沿いのガートに出た。空はどんよりと曇っている。ガートにボーッと腰掛けていると声をかけられた。観光客ではなく、地元の子供達だ。タミル語の会話帳で一生懸命コミュニケーションを取っていたら、いつの間にか写真撮影大会へと変わっていた。結局、夕日は一度も雲から顔を出さないままに沈んでしまったが、なんとなく満たされた気持ちになり、屋台が立ち並ぶ広場を横切って宿に戻った。
その夜は長い停電があったのでさっさと寝て、朝日を見るために早く起きた。カーニャクマリはインド大陸の先端に位置するため、朝日と夕日が同じ場所から見えるのである。海沿いのガートは、真っ暗なうちから人で埋め尽くされている。自分はと言えば、朝日よりも人間観察の方に興味が向いてしまっている。結局、朝日も厚い雲に隠れて見ることができず、気が付いたらすっかり明るくなっていただけだったが、彼らはたいして落ち込んだ様子も見せず、方々に散っていった。
おもしろくなかった訳ではないが、長居するような場所ではない。糞宿からバックパックを担いでバスターミナルに向かう。タミルナードゥ州とはしばしのお別れ。旅の進路は北へと変わり、これからケーララ州に入る。