2011年→2012年、インド、プドゥチェリー

 チェンナイからどこに行こうかと地図を眺める。ミーナクシー寺院が有名なマドゥライは必ず訪れるつもりだったが、チェンナイからはバスで10時間以上。飛行機を乗り継いで疲労が溜まった体に、いきなりの深夜バスはしんどいだろうと思い、機内で読んだLonely Planetで、もう一つ選択肢を用意しておいたのがプドゥチェリーである(人気のマハーバリプラムは帰りに残しておいたので、その件は、また後日)。チェンナイからバスで3時間程であり、南インドに慣れておくにはちょうどいいだろう。

 朝の4時。甘くて温かいチャイを飲んだ後、宿を探しにバスターミナルを出ると、案の定オートクリシャに捕まった。バスターミナルから安宿街まで2kmほど。値段を聞くとRs 1000とか言われ、阿呆かふざけんなと無視して歩くと、あっさり1/10になった。Rs 50までまけさせて、オートクリシャに乗り込む。ゲストハウスは満室ばかりで、5軒くらい断られ続けた後で、ようやく一部屋みつけた。清潔とは言えないレベルのでベッドだったが、ルーフトップにあって風通しがよかったので、ここに決める。風通しがいい分、毎晩大量の蚊の奇襲を受けることに、この時点では気付いていない。がんばって探してくれた運転手に、ちょっとだけお礼を足してお金を払う。

 北インドではバックパッカーと客引きとの壮絶なバトルが繰り広げられるものだが、南インドでは全くそんなことはなかった。リクシャの言い値は十分に安いし、それでも値切ろうとすると嫌な顔をされる。臨戦体制を取っていたので、少々面食らうことが多かった。

 数時間寝て、街を歩く。Lonely Planetに書いてある通り、フランス風味のコロニアル建築の街並みが残っている。長期滞在する欧米人が多く、旅行者の年齢層も比較的高い。ただ、キューバのトリニダーを見てきた自分にとってはたいして感慨はない。面白い建物の写真を撮ろうと思っても、どうしても新車が入り込んでしまうので、興醒だ。他国の発展を揶揄するつもりはないが、今回の旅で一番考えるテーマでもあった。

 まず、インドでお馴染みのサイクルリクシャを一切みかけなかった。つい3年前に出かけた北インドでは乗ったばかりだったので、これには驚いた。オートクリシャよりもサイクルリクシャの方が好きだったのに。つい10年前のコルカタで乗った人力車なんて、既に遠い過去の話になってしまった。そして、街中を走る新車の割合が多いこと。TATAのボロボロの乗用車を使い回していたのも遠い昔話。世界は確実に均衡化している。「地元の人は便利になることを望み、旅行者だけがそれを嘆く」。旅行人にあった言葉を引用したい。

 マナクラ・ヴィナヤガル寺院は、フランス風の街並みに突如現れたインドな空間である。ガネーシャを祀る寺院なので、ゾウが住んでいる。その長い鼻でもって、参拝者に祝福を与えるのである。ただし、ゾウにお金を渡す人限定で。ああ、なんと金に汚いゾウ。資本主義的なゾウ。素晴らしい躾のたまものか。そのうち、ゾウも資本論くらい書けるようになるかもしれない。

 フランス風味の静かな街並みから、1本大通りを挟むとインドらしい雑踏が待っている。僕はというと、雑踏に飲み込まれる方を選んでいた。インドの雑踏側で市場を見つけた。北インドと違って、冬でも温暖な南インドは野菜が豊富で、スパイスが山積みにされ、すごい活気。中途半端にコロニアルな街並みよりも、この市場での興奮のほうが勝ってしまった。市場の中は迷路のようで、ふらふらと彷徨いつつ、写真を撮りつつ。

 プドゥシェリーで2泊して、深夜バスでマドゥライへと向かう。クリスマスシーズンで満席だったが、隣に座ったインド人の学生と仲良くなる。街歩きの疲れでぐっすり寝て、起きたらマドゥライだった。学生に別れを告げて、宿を探しに重いバックパックを担ぐ。