アンマン、その1。旅人は、必ずこの街から聖地を目指すものと思っていた。

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エルサレムとパレスチナは、旅人としての半生で、心の底から旅したい場所の一つであったのだけれど、物価は高いし、政情は不安定だしと、何かと理由をつけて後回しにしてきた。暇を持て余せた学生時代の貧乏長期旅行から、社会人バックパッカーとしての限られた休暇を利用した旅行へと、生活の変化に合わせながら色々なところに出かけて来たわけだが、ようやくここを目的地に決めた。いつ頃からか、なんとなく、この旅が一つの区切りになるような気もしていたのだけど。

エルサレムに至る道を決めるとき、イスラエルのテルアビブではなく、ヨルダンのアンマンを経由するのはバックパッカーの常道である。しかし、それは既に過去のものになったことを、この旅の途中で知った。アンマンから、ヨルダン川に架かるキングフセインブリッジを渡り、パレスチナの自治区を横切ってエルサレムを目指すというこのルート。キングフセインブリッジの国境は、パスポートにイスラエルの入国スタンプを捺されない唯一の場所だった。イスラエルの存在を認めない国々では、イスラエル入国の形跡があるとその国の入国を拒否されるため、あらゆる土地を渡り歩こうとするバックパッカーは、必ずこの国境を通らなければならない。少なくとも僕が若い頃はそうだった。実は、最近、イスラエルの入国は全てIDカード式に変わり、どこから入ってもイスラエル入国スタンプが捺されることはなくなった(隣国の出国スタンプでイスラエル入国が疑われる場合は当然今でもあり得る)、らしい。

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キングフセインブリッジでは、イスラエル入国スタンプは、パスポート本体ではない「別紙」に捺される。しかし、たまに嫌がらせでパスポート本体にスタンプを捺されるから入国審査官のご機嫌を損ねないように気を遣えとか、その「別紙」をパスポートに貼り付けるための「糊」が強力で、これを綺麗に剥がさないと、残った「糊」の跡でイスラエル入国がばれるとか、中東を巡るバックパッカーが命を賭けた駆け引きは、もう既に昔話になってしまった。そんなことを夢にも思わないこのおじさんバックパッカーは、当然のようにアンマン行きの航空券を購入したし、イスラエル入国に向け、無駄に緊張感を高めていた。

仕事はいい感じに溜まっていたけれど、やって来た出発の日。洗濯物は生乾き、少し湿ったまま服を無理矢理バックパックに詰め、関空からフランクフルトに向かう飛行機に乗り込んだ。買ってから開く暇もなかったLonely Planetを機内でじっくりと眺め、旅の感覚を徐々に取り戻していく。十数時間のフライトのあと、フランクフルトの殺風景な空港で巨大なジョッキに入ったビールを2杯一気に飲んだ。その後で強烈な眠気にやられ、適当な椅子でうたた寝すれば、気が付いたときにはとっくに搭乗時刻が過ぎている。大慌てで乗り込んだ飛行機で、さらに数時間、ヨルダンの首都アンマンに着いたのは、現地時刻で真夜中の1時が過ぎていた。予約していた安宿のお迎えは、イスタンブール経由で来ていた日本人の女の子2人組と一緒だった。空港の建物の外に出ると、驚くほどに空気が冷たく澄んでいて、厚手のダウンジャケットを着込んでいても体温が奪われていくのがわかる。からりと乾いた冬の夜の風が、長旅で疲れた頭を現実世界に引き戻す。深夜のハイウェイ、そして人の気配のないダウンタウンへと車は走る。安宿に到着して、冷たい水で顔を洗って歯を磨き、凍えながら暗いドミトリーのベッドに潜り込んだ。時刻は夜中の3時を過ぎたころ。

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旅の朝は、ちょっとした興奮状態にあるのか、朝早く目覚める。同じドミトリーに泊まっていたドイツ人(パレスチナのボランティアから戻ってきたと言っていた)や、日本の若者と話をしたあとで、ふらっと朝の散歩に出かけた。アンマンは比較的新しい街であり、中東独特の美しい旧市街はない。しかし、いくつも山が連なる場所を無理矢理切り拓いた特異な地形であり、坂道を少し登れば、山と谷を埋め尽くした街の姿が目の前に飛び込んでくる。あちらこちらから鳴り響くアザーンを体全体で浴び、美しい塔が青い空を貫くモスクを眺め、人で溢れかえるスークを歩き、安くて甘ったるいチャイで身体を温め、自分の意識が徐々に街の日常に溶け込んでいく。歩き疲れて宿に戻ると、休むつもりだったベッドの上では、知らない誰かが寝息を立てていたので、思わず微笑んで、下の写真を撮り、そっとそこを後にしたのだった。ここまでの旅は全て順調だったのだが、だがしかし。

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