メキシコなどのラテン・アメリカの旧市街には、必ずと言っていいほど、ソカロと呼ばれる居心地のいい広場が中心にある。晴れた日には、なんとなく人々はソカロに集まってくる。穏やかな日差しを浴びながら、僕はベンチに座って本を読みながらビールを胃に流し込み、名も無き音楽家はめいめいに楽器を奏で、恋人たちはひと目も憚らず情熱的にちちくり合う。
オアハカのソカロの南側には、大きくて庶民的なメルカド(市場)がある。メルカドの中は、小さな個人商店が集まっていて、人がやっとすれ違えるほどの広さの通路が迷路のように張り巡らされている。野菜・肉・魚そして虫(!)に至るまでの食料品、使用用途がわからない日用品から、カラフルな民芸品まで、ありとあらゆるものが並べられ、場に彩りを加える。食堂が集まった一角では、肉を焼く煙がもうもうと立ち込め、焼きたてを求める人の列は一日中途切れることがない。
ところで、華やかなソカロから1歩裏側、賑やかなメルカドとそのソカロとを結ぶ通りに、武装警官が多く集まっているのを見かけた。治安の悪いメキシコで武装警官を見かけるのはそう珍しいことではないし、観光客狙いの輩の取り締まりかと思うと、どうも様子がおかしい。警官の群れを掻き分けて覗いてみると、通りを塞ぐようにして、先住民族の衣装に身を包んだ20人~30人ほどの集団が座り込みをしていた。いくつかの段幕は、その一団が“San Juan Copala”であることを示している。座り込みの周囲には、虐待の被害者らしい写真が何枚も貼られていて、カンパを集めている人がいるし、座り込みをしている人にインタビューをしているジャーナリスト風の若者もいる。その横を何も見なかったように通り過ぎる住民や観光客も、もちろんいる。
不勉強にも“San Juan Copala”について知らなかったので、日本に帰ってきてから情報を集めてみた。ほとんどがスペイン語のサイトなので、語学力の欠如から詳しい情報を得るには至っていないのだが、少ない英語の情報から理解したのはこうだ。サン・フアン・コパラ(San Juan Copala)は、オアハカ州の西部にあり、先住民族であるトリキ族が住む小さな村であること、2006年に州政府からの自治を宣言して今でもそれを維持していること、しかしながら、州政府からの住民への虐待、外国人活動家の支援に対する妨害や殺人までが半ば公然と行われているらしいこと。
メキシコ東部からグアテマラまでの地域には、先住民族が多く住んでいる。その中には、資本主義の押し付けを拒否し、自給自足的なコミュニティを営んでいる小さな村がいくつかある。そして、サパティスタに代表されるように、グローバリズムに抗するオルタナティブとして、世界中からある種の憧れと希望を集めていたりもする。しかしながら、これらの運動は、政府からの弾圧や世間の関心の低下等のさまざまな理由で、非常に危うい立場に置かれているようだ。それでも、彼らは動き続けている。遠い異国の地に住む僕でも、旧市街の美しいソカロに足を踏み入れるたび、その美しさの裏側に抱えている矛盾に目を向けないわけにはいかないのだ。この日のオアハカの街はその両面を余すことなくさらけ出していた。