2012年、トルコ、ワン、その3。

一旦Nicoと別れ、ホテル・バイラムの跡地を訪れた後で、一人で湖の畔にあるワン城に向かった。ワンの中心部から路線バスに乗る。ここでの路線バスは、運転手と車掌の2人で運行されている。夕方、人がごった返すワンの中心部のバス乗り場で、「ワン城に行きたい!」と周囲の人達に叫び続け、教えてもらったバスに乗り込むと、少年のような車掌が喜んで迎えてくれ、運転手の隣の特等席に座るよう促された。バスは街を抜け、郊外の住宅地に至る。車掌が肩を叩いて外を指差すので、そちらを見ると、更地に仮設住宅やテントが多く建ち並んでいた。このあたりは地震の被害が相当大きな地域だったようだ。

ほどなくして、バスを降ろされた。目の前には巨大な岩山が聳え、その岩山の尾根に沿うように古い砦が建てられている。入り口を探して彷徨っていると、道端で遊んでいた子供たちに声を掛けられた。年上の女の子と、小さな男の子2人の合計3人組。案内してくれるというので、のこのこと付いて行ってみると、山の周囲に張り巡らされた鉄条網が少しだけ緩んだところを潜り、切り立った斜面を登って行く。カモシカのように駆け上がっていく子供たちの後をヒーヒー言いながら追いかけると、美しい景色が広がっていた。前方にはワン湖、後方にはワンの街、その向こうには山が雪を抱いている。

ここは絶好の散歩コースになっているようで、地元の若者や家族連れで賑わっていた。ただ、ワン城の頂上にはこちらからは上がることはできないようだ。一旦、山を降り湖側に回り込む。子供たちとは山を降りたところでお別れ。例えばインドでは、ここで必ず「マネー!マネー!」と囲まれて帰してくれないところだろうが、手を振ってバイバイと言うと、子供たちも手を振り返し、その瞬間から彼らの興味は他に移っていた。

湖側の別の入り口から山を登る。夕日が次第に空を赤く染めていき、湖面は穏やかに空を写している。真っ暗にならないうちに街まで戻らないといけないと思い、山を降りた。さて、ここからが一苦労である。この時間にもなると現地の人もまばらで、帰りのバスを確認するのも難しい。山を降りたところでキョロキョロと見回すと、湖沿いに停まった車の周りに人が集まっている。様子を伺っていると、その中の一人から、こちらに来いと手招きをされた。近寄ってみれば、おっさん数人が車を囲んで酒盛りをしている。赤ら顔のおっさんにアラックを勧められた。アラックとは、トルコやシリアで飲まれる蒸留酒で、アブサンに似ていて、水をさすと白く濁る。口当たりは良いが、アルコール度数が相当高く悪酔いの元凶だ。シリアのアレッポで、アラックのお陰で凄まじい二日酔いを経験済みなので、慎重に1杯だけいただくことにする。一人英語が堪能なおじさんがいたので、彼と話をしていたのだが、やはり地震の話になった。「ワンにまた地震が来るのかどうか教えてくれ。日本人は地震のプロフェッショナルだろう?」なんという無茶振り。しかしなるほど、日本人はそういう目で見られているのか。「うーん、地震はいつ来てもおかしくはないから、備えをしとくにこしたことはないよ」と、気難しい顔をして至極当たり前のことを言うと、おっさんは感激して他の人に翻訳して伝えてくれた。

気が付けば周囲は真っ暗になっていて、帰りのバスが来るのかどうかすら怪しい時間。「なんとか帰る手段はないだろうか?」と聞いてみると、その中の一人が「ちょっと待て」と言って、道行く車を停め、その運転手と何か話をしている。すぐに戻って来て、「さ、さ、早く!」と急かされ、何が何だかわからないまま、彼が停めた車に乗せられた。わざわざ街へ行く車を探してくれたのだった。ちゃんとお礼を言う暇も与えられることなく、私を乗せてその車は街へと走りだした。車には若い父親と可愛い幼い女の子が乗っていて、ようやくホッと一息つく。彼らは、街の中心部へ向かう混雑した道を進み、宿の近所まで送り届けてくれた。今度は丁重にお礼を言って車を降りる。いつも現地でいろんな人に助けられて旅をしているのだ。感謝。感謝。