2010年、イラン、アブヤーネ、その1。

早朝にヤズドを出れば10時頃にはカシャーンに着く。この街は薔薇の産地として有名であり、そこそこ大きなスークもあるため、少し立ち寄って買い物をしてからアブヤーネに向かうことにする。

カシャーンはアブヤーネへの起点となる街だが、ここからアブヤーネまでは車で2時間程かかる。お馴染みの「地球の歩き方」にはほとんど情報がなく、1日2~3本あったバスは廃止されたようで、タクシーを捕まえるしか選択肢がない、とのこと。また、「Lonely Planet」によれば、アブヤーネではたった1軒だけ高級ホテルがあるが、いつもガラガラなのでディスカウントに応じてもらえるだろう、とのこと。まさに秘境ではないか。ネパールのポカラからトレッキングで立ち寄った、ヒマラヤに抱かれた小さな村のことを思い出し、ワクワクが止まらない。

たまたま捕まえたタクシーのドライバーは、人のよさそうな髭の巨漢の男(イラン人男性のほとんどはそれに当てはまる)。値下げ交渉の末、若干のディスカウントに成功して出発する。途中、ドライバーの家に寄り、菓子や果物をご馳走になった。そして、ひたすら真っ直ぐ延びるハイウェイを通り抜け、ハイウェイを降り、遠く霞む山脈へと方向を変えて、狭くくねった山道をひたすら走ると、アブヤーネ村に至る。ドライバーから電話番号が書かれた紙を渡され、「明日、帰る時は俺に連絡しろよ」とペルシャ語で言い残して(何を言ったかわからなかったが、きっと言ったに違いない)、タクシーは颯爽と去って行った。

まずは、アブヤーネ村唯一のホテルという触れ込みのアブヤーネホテルに行ってみる。予想に反してロビーはなぜか人でいっぱい。しかも、少し身なりのいいイラン人ばかり。人波をかき分けてフロントに向かい、予約は無いが部屋をよこせ、と騒ぐと「Fullだ」と言われる。まさかの展開。戸惑う我らをみて、「ちょっと座って待っとけ」とフロントの強欲そうな婆は言い放った。

まあ、なんだかんだ言いつついい歳してるが貧乏旅行なもので身なりが汚い。周りの金持ちイラン人と比べれば明確に汚い。着古したシャツに、穴の空いたジャージ、明らかに顔が薄くて色が白い東洋人が高級ホテルのロビーで不安気に立っているので、怪しいこと限りがない。

ホテルの強欲婆から呼び出され、一晩$300の部屋と、風呂トイレはついてないが$40の部屋と、どっちがいいか聞かれる。先程の「Fullだ」というのは、一般的なツインルームがFullだったということのようだ。悩むことなく$40の部屋を選択し、ついでに、「ゲラーン!、ゲラーン!、ロットファンタクティフベタフィー!(高い!高い!安くしろ!)」と高級ホテルのフロントで汚い東洋人がワーワーと叫んで、$10程まけさせてやった。安い部屋といっても、ベッドは綺麗で文句はない。1つだけ不満があるとすれば、手洗所に行くまでに2F分の階段を上り下りしないといけないだけだ。

とりあえず、宿も確保できたので、ホテルの併設のレストランで昼飯を食い(高級ホテルだけあって美味しかった!)、村へ散策に向かう。

2009年→2010年、インド、ハリドワール。

2009年→2010年の年越しはインドへ。仕事を急いで片付けて、ちょっとだけ早くお休みをいただく。8年前、学生時代の春休みに一人で1カ月かけて北インドとネパールを回ったので、今回は2回目。バラナシとかアグラーとかベタなところは前回に行ったので、今回の目的地はハリドワールとリシケシュにした。憧れのガンガーの源流まで行く時間がある訳もないし、本物の聖地の雰囲気だけを少しだけでも味わいたいと思う。

マレーシア航空でデリーに入ったのは深夜。メインバザールのゲストハウスで少し休み、早朝の電車でハリドワールへ向かう。ニューデリーの駅の混沌はインドを象徴する光景だ。電車に殺到する乗客を、駅員が棒を振り回して殴り倒す。これを眺めて初めて、8年ぶりにこの国に戻ってきたことを実感する。

デリーからハリドワールまで特急列車Shatabdi Expressで6時間。後で地図で距離を確認したところ150kmくらいだったから、インドの特急列車より日本の鈍行列車の方が明らかに速い。まあ、そもそも、人間が生きていくにおいて、そんなに速く目的地に着く必要はないのかもしれない。

ほぼ定刻通りに発車して、昼過ぎにハリドワールに到着した。とりあえず安宿にチェックインして、ガンガーに沿ってそぞろ歩く。ハリドワールはヒンドゥ教の最も重要な聖地で、(8年前の)バラナシの「俗」な雰囲気とは対照的だ。外国人ツーリストの姿はほとんどなく、身なりのいいインド人の旅行者が多く、落ち着いた空気が漂う。下流のどんよりと濁ったガンガーと違って、ヒマラヤから流れ出たばかりのガンガーの水は青くて流れが早い。

ハリドワールで最も重要な場所は、ガンガーの上流にあるハリ・キ・パイリ。多くの人が沐浴をする。北インドの真冬は厳しく、ヒマラヤから流れ出たばかりの水は物凄く冷たいが、全ての罪が洗い流されるのだから、そんなことは関係ない。

ということで、私も沐浴して参りました。下の写真、肌の白いジャパニが聖なるガンガーに突撃して、あまりにも冷たい水に凍えるの図である。効果はてきめんで、帰ってからすぐパソコンが連続して2台壊れたし、もっと大事な物もいろいろ壊れた。さすがシヴァ様は破壊と再生の神であります。現在、絶賛再生中につき、どうぞよろしくお願いします。

そして、日が傾くにつれハリ・キ・パイリには人が集まりだし、日が沈む頃にはガートが人で埋め尽くされる。プジャ(礼拝)が始まる。

小さな子供と両親、その祖父母とみられるお年寄りまで、早く来た者から川に近い方に場所をとり、ゴザを敷いてじっと待つ。もっと前に詰めろ、と誘導する係員のような人。日本の行事に例えるなら、田舎の花火大会といったところ。

ガンガーまで3mくらいのところに隙間を見つけて、座って待つこと30分程。気が付くと後ろは人でぎっしり。日暮れとともに、設置されたスピーカーから音楽が流されるが、スピーカーの容量関係なしに突っ込んでくるので、音が割れて少し間が抜けて聞こえる。何人かのオヤジが川の前に立って演説をし、その間にあちらこちらで火が灯される。火を持った人が回ってきて、人々はそれに群がる。ここいることを目的に、インド中から人々はハリドワールを目指す。ここでは、旅とは巡礼を意味する。

カメラを手に必死で追いかけていたら、いつの間にか終了したらしく、あれだけ熱心に集まっていた人々が唐突に帰り始めた。インドに来ると、インド人の余韻を感じさせない振る舞いによく出会う。例えば火葬の現場とか。さっきまで泣き叫んで悲しんでいたと思ったら、死体に火がつけばすぐに笑顔を見せたり。サバサバしているというか、アッケラカンというか、そんな国民性。世界(シヴァ)はもっと大きな存在であって、人間なんで所詮ちっぽけだし、どうせ死んでも輪廻だし、どうでもいいや、というような。小沢健二もライブでそんなことを言っていた。すごく共感できる。

この街は夜まで賑やかで、歩いているだけで十分に楽しい。ふらふらと散歩しながら宿に戻る。

朝のハリ・キ・パイリも素晴らしいと聞いていたので、がんばって早起きして行ってみたのだが、さすがに真冬の早朝は、沐浴している人もお祈りしている人も少なかった。でも、早朝の閑散としたハリ・キ・パイリは凛としていて、これはこれで美しい。温かいチャイを飲みながら、日が昇るのを待つ。